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境界線の虹鱒

セクシュアリティ徒然草

オナニーしたってAセクです!――自慰とAセクシャルをめぐる近年の研究動向(1)

原題:"Sexual fantasy and masturbation among asexual individuals: An In-Depth Exploration"(「Aセクシャルの性的空想とマスターベーション:徹底的な調査」)

 梗概(和訳)
 Aセクシャルの人は一般的に、セクシャル・アトラクション(性的に惹かれる感覚)を欠いている人、と定義される。私たちはオンラインアンケートを用いてマスターベーションの動機について調査し、Aセクシャルの人(Aセクシャル自認尺度を用いて同定した)とセクシャルの人の性的空想を調査、比較した。合計で351人のAセクシャル(女性292人、男性59人)と388人のセクシャル(女性221人、男性167人)が調査に参加した。Aセクシャルの女性は、セクシャルの女性、セクシャルの男性、Aセクシャルの男性と比べてマスターベーションする傾向が顕著に低かった。Aセクシャルの女性はマスターベーションによる性的快感や愉しみを報告する傾向が他の属性の人と比べて低く、Aセクシャルの男性はマスターベーションによる性的快感や愉しみを報告する傾向がセクシャルの男性よりも低かった。Aセクシャルの男女両方で、性的空想をしたことのないという報告がセクシャルの男女と比べて顕著に多かった。性的空想をしたことのある人のうち、Aセクシャルの男女では「私の空想は他の人を巻き込まない(my fantasies do not involve other people)」という回答を支持する人がセクシャルの男女と比べて顕著に多く、またセクシャルの回答者と比べて一貫して、アンケート上で性的空想をより性的に興奮する程度の低いものとして得点付けした。自由記述形式を用いたところでは、Aセクシャルの回答者は彼ら自身を巻き込まないような性的活動についての空想をいだく傾向がより高く、また乱交や青姦や浮気などのようなトピックに関する空想をする傾向がより低かった。興味深いことに、Aセクシャルの回答者とセクシャルの回答者の性的空想には多くの重複があった。特に、Aセクシャルとセクシャルの回答者の両方(男女両方)が同じぐらいフェティッシュとBDSMのようなトピックについての空想をする可能性があった。
 キーワード:Aセクシャリティ性的指向マスターベーション、性的空想

全文はこちら↓
https://www.researchgate.net/publication/310785313_Sexual_Fantasy_and_Masturbation_Among_Asexual_Individuals_An_In-Depth_Exploration

【内容整理1 先行研究レビュー】

 Aセクシャルの自慰に関する研究である。この論文で行われた調査自体も興味深いのだが、イントロダクションにまとめられた先行研究レビューにも、色々と面白い情報が書いてある。論文本体の研究結果は次回紹介するとして、今回は先行研究のレビューから見ていこう。

●Aセクシャルの人はどれぐらい存在するのか?
 先行研究として、イギリス在住者に対する大規模な推定調査が挙げられている。それによると、成年人口のうち0.5%(Aicken,Mercer,&Cassel, 2013;Bogaert, 2013)から1%(Bogaert, 2004; Poston & Baumle, 2010)がAセクシャルだそうである。
 より小規模な研究もいくつかある。現在男女どちらにも惹かれていないというニュージーランドの高校生を対象とした調査では、2%がAセクシャルであるという(Lucassenet al.,2011)。また過去一年以内にセクシャル・アトラクション(性的に惹かれる感覚)を経験していないフィンランド女性のうち、多く見積もって3.3%がAセクシャルであるという調査もある(Hoglund,Jern,Sandnabba,&Santtila,2014)。

●Aセクシャルは「性的指向」なのか?
 Aセクシャルが独立した性的指向であるかどうかは、研究者の間でも見解が分かれている。単なる性的指向の欠如であると考える研究者もいる一方、生物学的根拠のある独立した性的指向であると主張する研究者もいる。この論文の筆者らは後者の立場をとっている。この立場について詳しく知りたい方はBrottoらの論文(Brotto&Yule,2016)を参照せよ、とのこと。

●Aセクシャルの人はオナニーをするのか?
 梗概の和訳にも書いたように、Aセクシャルは「セクシャル・アトラクション(性的に惹かれる感覚)を欠いている人」と定義される。ところが近年では、Aセクシャルの人々はマスターベーションをしている、という研究が出ている。
 Brottoら(2010)の研究からは、80%のAセクシャル男性と73%のAセクシャル女性がマスターベーションをしているという結果が出た。この割合は、イギリスでセクシャルの人を対象に行われた調査(Gerressu,Mercer,Graham,Willings,&Johnson,2008)と同じぐらいの値だそうである。
 これに対して別の研究からは、Aセクシャルの人々はセクシャルの人々よりもマスターべーションする割合が低いという結果が出されており(Bogaert, 2013;Yule, Brotto,&Gorzalka,2014b)、論文の筆者らもこの立場を支持する。
 とはいえ先行研究によれば、Aセクシャルの人々のうち無視できない数がマスターベーションをしている。一見するとAセクシャルの定義と矛盾するかのようにも感じられるが、これはどのように解釈するべきなのだろうか。

●そもそも人は何のためにオナニーをするのか?
 ここで一旦Aセクシャルから離れて、マスターベーション全般について考えてみたい。かの有名なキンゼイレポートによれば、ほぼすべての男性と60%の女性が、人生のうち最低でも一度はマスターベーションをしたことがあるという(Kinsey,Pomeroy,&Martin,1948;Kinsey,Pomeroy,Martin,&Gebhard,1953)。キンゼイの研究はかなり古い調査だが、より最近の調査からも同様な結果が確認されたようである(Laumann, Gagnon, Michael, & Michaels, 1994)。
 さて、人はどうしてマスターべーションをするのだろうか? マスターベーションの動機は何なのだろうか?
 多くの人が最初に思いつくのは、性的快感を得ることや、叶わない性交への渇望を解消すること等だろう。もちろんこのような動機もあるが、他にも自分の身体の探求(body exploration)や、寝つきを良くするため、あるいは退屈や孤独を紛らわす、といった動機も一般的なものである(Carvalheira&Leal,2013;Clifford,1978)つまりマスターベーションには、性的な動機と非性的な動機があるというわけである。

●Aセクシャルの人にとって、オナニーの動機は何か?
 この問題については、まだはっきりした答えはない。Brottoら(2010)の調査では、Aセクシャルのマスターベーションは非性的な動機によるものだ、という仮説が提示されている。これに対してBogaert(2012b)は、アイデンティティ欠如型マスターベーション(an identity-less masturbation pattern)という考えを導入した。これは性的パートナーや性的空想を介することなしに行われるもので、このようなマスターベーションのなかで、個人は自我と性的対象との分離を経験するという。

●性的空想とは何か?
 LeitenbergとHenningら(1995)によれば、性的空想は、「エロティックもしくは性的な刺激を経験させるような思考、精神的イメージ、あるいは想像上のシナリオである」と定義される。LeitenbergとHenningによる先行研究のまとめによれば、77%から100%の男女が性的活動をしていないときに性的空想を持ったことがあり、また86%の男性と69%の女性がマスターベーション中に性的空想をするという。
 性的空想は個人の性的指向とセクシャル・アトラクションを明らかにする上で、性的振る舞いや性自認よりも重要なものだと言われている。というのも、振る舞いは社会的規範によって抑圧されることがあり、また性的パートナーから自身の指向と異なる性行為を強制されることもあるからだ。

●性的空想は無意識の願望か?
 性的空想は、空想する本人の欲望を反映していると言われることがある。しかし「レイプ・ファンタジー」のような、本人が現実生活で経験したくないようなテーマを空想することはままあり(Bivona,Critelli,&Clark, 2012;Clifford,1978; Critelli & Bivona, 2008)、57%の女性がそのような空想をしたことがある、という調査もある。これについては、男性の性的空想は欲望の反映である割合が高く、女性の場合は相対的に低い、といった男女差があるかもしれない。

●Aセクシャルの性的空想にはどんな傾向があるのか?
 先行研究によると、Aセクシャルの人はセクシャルの人と比べて、性的空想をいだいたことがないという割合が顕著に高かった。Yuleら(2014)によれば、セクシャルのうち性的空想をしないという人は1%から8%だったが、Aセクシャルでは40%だったという。さらに興味深いことに、「自分の性的空想は他人についてのものではない」("these fantasies were not about other people")という人の割合である。セクシャルの人のうちこのように答えた人は1.5%だったのに対し、Aセクシャルでは11%だったのだ。
 つまりAセクシャルの人の方が、人を主役とする性的空想をあまりしない傾向があるかもしれない。ただしAセクシャルの空想の内容について、まだはっきりしたことは言えない。

●というわけで
 以上が、今回紹介した論文にまとめられていた先行研究である。これをふまえてYule、Brotto、Gorzalkaらは、Aセクシャルの性的空想の内容をこまかく調査する。その調査・分析の結果については次回の記事で紹介する。 

※なおブログ筆者は英語素人です。訳や解釈の誤り等については一切責任を負いませんのでご了承ください。文献情報については、元論文の掲載URLを参照ください。

前回の記事


『苦痛か性的快感かの表情判断における性差』(梗概和訳と雑感)

(原題 "Sex Differences in the Assessment of Pain Versus Sexual Pleasure Facial Expressions")

梗概(和訳)
 まったく異なる情動でありながら、苦痛を感じている人の表情は、強い性的快感を感じている人の表情と驚くほど似ている。私たちは、男女それぞれの顔写真が苦痛を感じている表情なのか性的快感を感じている表情なのかを区別することに、性差が存在するかどうかを調査した。インターネットから取得した、苦痛と性的快感のいずれかを感じている人の写真を、スライドショー形式で91人の回答者に示し、その写真に写る人が苦痛と性的快感のどちらを感じているのか識別させた。全体として、被験者は性的快感と比べて苦痛の表情をより正確に識別することができた。被験者はまた、女性が苦痛を表現している写真を識別するということになると最も高い正答率を示したが、女性が性的快感を表現しているのを識別するのは最も正答率が低く、この現象は女性回答者に顕著だった。そのうえ、回答者は女性の写真よりも男性の写真について、回答するときに長く時間をかけた。これらの調査結果は、こうした表情の認識における性差がどれほど適応的であるか、という面において議論されている。

pdfはこちら↓
http://psycnet.apa.org/journals/ebs/2/4/289.pdf

【簡単な整理と雑感】
  要するに、回答者たちに顔写真を見せて「これは性的快感を感じている表情ですか? それとも苦痛を感じている表情ですか?」を答えさせる実験をしたわけである。以下2つのグラフがその正答率である。

  全体的な結果を見るなら、一つ目のグラフがわかりやすい。七割以上の人が性的快感の表情を正しく識別できている。そして特徴的なのが、女性が苦痛を感じている表情は特に正答率が高くなっているという点である。

f:id:mtwrmtwr:20170121182759j:plain    回答者の性別を考慮して、より細かく整理したものが二つ目のグラフである。男性の表情を識別する課題については、男女どちらの回答者も大差ない正答率になっている。逆に女性の表情を識別する問題については、回答者の性別によって差が出ている。女性回答者は女性の苦痛を正しく識別しやすいが、女性の性的快感の正答率は低い、という結果である。

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 これらの結果について、「ネガティブな感情の方がポジティブな感情よりも検知しやすい」といった過去の研究との整合性や、進化論的な適応として解釈できるかどうか、といった考察が行われている。詳細は原文を参照いただきたい。ちなみに、実際の調査で用いられた顔写真は次のようなものである。

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 ……なかなか反応に困る画像たちである。表情以外の情報(わずかに映り込んだ身体や背景、あるいは顔の向きなど)の影響もある気がするので、本当に表情だけで識別したと言えるのか、個人的には疑問が残る。もっとも、表情だけで苦痛と快感を識別する機会なんて日常生活ではまずないだろうから、べつにいいのかもしれないが。

※なおブログ筆者はまったくの心理学素人かつ英語素人です。誤訳や解釈間違い等については一切責任を負いませんのでご了承ください(もし誤訳を発見した方は、コメント欄等に報告いただけると助かります)。また、この論文は2008年初出のものなので、その後の研究などをご存知の方がいらっしゃいましたら、コメント等いただけると私が喜びます。