境界線の虹鱒

研究ノート、告知、その他

無性愛(アセクシュアル)研究への招待――英語圏での研究動向(文献メモ)

Ela Przybylo (2016) "Introducing Asexuality, Unthinking Sex." in Introducing the New Sexuality Studies 3rd Edition (pp.181-191) 

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当該箇所の全文pdfはこちらのリンク先でダウンロードできる。  https://www.researchgate.net/publication/312664690_Introducing_Asexuality_Unthinking_Sex

今回のブログはあくまでも上の文章のまとめメモである。ブログ内で取り上げていない箇所にも重要な解説があり、また文献リストも充実している。ぜひ原文を活用していただきたい。なおブログ筆者は英語素人なので、例によって誤訳誤解などがあればご指摘ください。

Aセクシュアルとは

Aセクシュアルとは「セックス、性的実践、そして人間関係におけるセックスの役割などについて無関心であったり反感をいだく人」全般を指す、包括的な用語 (umbrella term) である。それゆえAセクシュアルという概念は、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、パンセクシュアル、そしてストレートなどのような性的指向を横断するものである。言い換えれば、「セクシュアル/Aセクシュアル」という単純な二元論では整理できないということである*1

Aセク自認者がセックスに対して取る態度

Aセク研究者Mark Carrigan (2011)によれば、Aセク自認者がセックスに対して取る態度は大きく3つに整理できる。1つめは「セックス肯定 (sex-positivity)」という態度であり、性行動を必ずしも欲してはいないかもしれないが、それでもセックスを肯定的で有効なものと見なす態度である。2つめ「セックス中立(sex-neutrality)」という態度で、セックスに無関心な態度である。3つめは「セックス嫌悪(sex-averse or anti-sex disposition)」という態度であり、理屈抜きにセックスを嫌なもの、不快なものと感じる態度である。

心理学的研究

心理学系のAセクシュアル研究からは、性器など身体的な興奮を経験しているからといって、主観的にも*2興奮を経験しているとは限らないという考えが出ている。

心理系の研究においてAセクシュアルは、性的に惹かれる感覚が低いこと、性行動を実践しないこと、あるいは単純にAセクシュアルを自認していること、といった観点で定義されてきた。近年の心理学的な研究では、Aセクシュアルをグラデーションと捉え、12問の質問によってAセクシュアルである度合を測る "Asexuality identification Scale"が考案されている。

Aセクシュアルの人口について、世界人口の1%ぐらいだという研究もある。ただしこうした研究はあくまで西洋諸国のデータに限られるということを留意しておく必要がある。

 Aセクシュアルを「定義する」ことへの困難

ここまで述べてきたのように、Aセクシュアルにも色々な人がいる。しかしAセクシュアルに関する言説は、往々にしてAセクシュアルを単純化しがちである。よくある言説は、「Aセクシュアルは「選択」ではなく「生まれつき」のセクシュアリティであり、生涯変わらない」とか「Aセクシュアルは性的関心を一切欠いている」などと規定するものである。このように定義することは、Aセクシュアルが多様であるという理解を妨げかねない。

先に挙げたように、心理学的な研究の中には、Aセクシュアルについて一定の基準で「科学的」に定義するものがある。しかし何らかの基準を設けてAセクシュアルを「科学的」に定義することは、Aセクシュアルにアイデンティファイするかどうかを決める権利を当事者から奪い取ることにつながる。言い換えれば、当事者が自らのセクシュアリティに対して持つ権限を切り下げることになるのだ。

「真のAセクシュアル」が「科学的」言説によって定義されたとき、そこから零れ落ちる人々が周縁化されてしまう、という問題がある。さらにこうした定義は別の問題にもつながってくる。

Aセクシュアルというアイデンティティの基準として、自身のセクシュアリティが生涯不変であることを当事者らに強要するのは不当である。なぜならセクシュアリティそのものが、私たちの生に関する状況や文脈が変化するにつれて、生涯を通じて変化しうるからだ。同様に、Aセクシュアルは決して選択ではなく「生まれつきの」ものであると仮定してしまうと、私たちのセクシュアリティが社会的に位置づけられた文脈において理解されるということを見落としてしまう。(p.184)

セクシュアリティに関する理解は、私たちの社会にある認識枠組みによって大きく左右される。たとえば、単に「同性愛行為をしている」人がいるというだけでは「同性愛者」という概念は成立しない。「誰とセックスをするのか」がアイデンティティに関わる問題として認識されるようになったとき、初めて「同性愛者」という概念が可能になるだろう。

同じことがAセクシュアルについても言える。単に「性欲がない」「セックスをしない」というだけでは「Aセクシュアル」という概念は成立しない。「性欲がない」「セックスをしない」等がアイデンティティに関わる問題として認識されるようになったとき、初めて「Aセクシュアル」という概念が可能になる。

なので「同性愛者」という概念が存在しなかった時代があるように、「Aセクシュアル」という概念が存在しなかった時代も当然ある。しかし、だからといって当時の「性欲がない」「セックスをしない」人々が “現代で言うAセクシュアル的な人々が経験するような困難” を経験していなかったとは限らない。もしAセクシュアルを「生涯Aセクシュアルを自認し続けた人」として定義してしまうと、そうした歴史上の「Aセクシュアル」差別や「Aセクシュアル」的経験が無視されてしまう*3

「強制的性愛 (compulsory sexuality)」とは

強制的性愛("sexual imperative” or "compulsory sexuality")とは、簡単に言うと「人間はみな性的であるべきであり、また性を欲望するべきである。そして性的でなかったり性を欲望しなかったりすることは本質的に間違っており、治療が必要である」という社会規範のことである。具体的には、「(1) 人間関係においてセックスを特権化し、(2) セクシュアリティを自己形成や自己認識において中心化し、(3) セックスを健全であることへと付属させ、(4) セックスをカップル関係、愛、親密性などと結合させる」ことを通じて、セックスとセクシュアリティを特権化することである。

また、「セクシュアリティは私たちの人生と人間関係において普遍的な要素である、という信念を中心として編成される社会」を表す言葉として「性社会 (sexusociety)」という語も作られている。

 「強制的性愛」と人種、障害、ジェンダー

たとえば、障害者は性欲のない存在であってほしいという暗黙の願望が、社会には存在している。障害者は強制的に「脱性化」されていると言えるだろう。こうした期待は、「どのような人間の生が、生きやすいとみなされたり再生産に値すると考えられたりするのか」ということに関する認識と密接に結びついている。それゆえ極端な場合には、国家による強制的な断種政策にもつながる。
他方で人種化された集団は、過度に性的な存在としてイメージされる。それゆえ彼らがAセクシュアルを自認しても信じてもらえない、という事態が生じることがある。

このように、セクシュアリティは正常であることや規範的な身体にとって当然必要であると見なされている。それゆえAセクシュアルは歴史的に治療対象と見なされてきた。たとえば19世紀後半以降、性欲が低いということが「性的麻酔 (sexual anesthesia)」(Krafft-Ebing 1886/1922)、「阻害された性欲 (inhibited sexual desire)」 (Lief 1977)、「不感症 (hypoactive sexual desire disorder)」(DSM-III-R 1987) などとされてきた。さらに近年でも「冷感症 (female sexual interests arousal disorder)」や「 男性不感症(male hypoactive sexual desire disorder)」 (DSM-V203)といった扱いが為されている。このように、性欲が低いということは「不健康」であると見なされ、性科学や医学の対象となってきたのである*4

ジェンダーについて言えば、多くの女性が性的不感症と診断されるという現象がある。2002年のとある調査では、アメリカの女性のうち1/3が不感症かもしれないという結果が出たそうである。これに対しては「女性は、社会でよく奨励されるセックスが気に入らないために、性的欲求のレベルが低くなるのではないか」「ヘテロノーマティブな文脈の中では、男性のオルガスム、快楽、満足感、性交を中心としてセックスが編成されているのではないか」といった指摘がなされている。こうした論点は、女性は性的に受動的であるべきだという社会規範とも関連していると考えられる。

また、現代のAセクシュアルのコミュニティには男女二元論に収まらない人々*5が多いという調査も出てきている。トランスジェンダーAセクシュアル自認との関連についてはさらなる研究が待たれる。

Aセクシュアル差別

ゲイル・ルービンなどのフェミニストは性に関する様々な偏見を打破しようと試みてきた*6。しかしルービンの代表的論文 "Thinking Sex" (1984) においてAセクシュアルやそれに類するセクシュアリティは見落とされていた。こうした傾向はルービンに限らず、その後のセクシュアリティ研究にも見られた。

また、心理学者Cara Maclnnis と Gordon Hodson (2012) がカナダの大学生を対象に行った調査から、「反Aセクシュアルな偏見 ("antiasexual bias" or "antiasexual prejudice")」が存在することが分かった。これはAセクシュアルを「不完全な人」「人間性を欠いた、嫌な人」と捉えるような偏見である。強制的性愛のもとで、Aセクシュアルは周縁化され、差別されている。性が重視される社会においてAセクシュアルが周縁化されている、ということを認識することが必要である(Cerankowski and Milks 2014:13)。

ヘテロノーマティブでも、クィアでも、困難

まずヘテロノーマティブな集団において、異性に対して性的関心をいだくことが「普通」であるとされており、そこから外れる場合に不利益を被る。たとえば猥談や好みの異性の話などは、集団の結束を強める会話として位置づけられている。こうした文化に馴染めず居場所がなかったという語りが、Aセクシュアル男性への調査から出てきている (Przybylo 2014)。

他方クィアカウンターカルチャーは、性に関する強制的な規範に挑戦するが、しばしばセックスをクィアな関係において不可欠なものとみなすことがある。そうした場合Aセクシュアルの人々は、クィアな集団内に居場所がないと感じることになる(Cerankowski and Milks 2014)。

セックスとセクシュアリティが人間関係の結束において普遍的で本質的だとする固定観念によって、Aセクシュアルクィアな文脈からもヘテロノーマティブな文脈からも排除されることになる。

交際関係における困難

また、Aセクシュアルの人々は、特にAセクシュアルでない相手と交際しているときに、望まないセックスを強制されやすい。その結果、恋愛関係を希望しつつも、そうした望まないセックスのために関係を諦めることもある*7

Aセクシュアルの抹消と不可視化

最後に、「強制的性愛」 の規範がある社会では、Aセクシュアルは理解不能な存在と見なされる。そのときAセクシュアルは、「性的に未熟な人」「潔癖でお堅い人」「抑圧された人」「性的に解放されていない」「性的なことから目をそらしている」などと見なされ、不健康で治療の対象であると位置づけられるのだ。あるいは、Aセクシュアルの人は、Aセクシュアルでない人々から「本当に性に関心がないのか?」と疑問を向けられることがある。「お前はAセクシュアルなどと名乗っているが、本当は性に関心があるのではないか? 嘘をついているのではないか?」というように、Aセクシュアルであることを否定するような言葉を向けられることもある。

このような否定的な尋問や、Aセクシュアルへの偏見などによって、Aセクシュアルへとアイデンティファイすることが困難になる。つまりAセクシュアルという存在が抹消され、不可視化されるのである。

結論

セクシュアリティ研究をする人も含めて、私たちは「強制的性愛」のもとでAセクシュアルが差別され、不可視化されていることを認識しなければならない。こうしたAセクシュアルの不可視化を認識することによって、この社会においてセクシュアリティがどのように位置づけられているかを明らかにすることができるだろう。

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*1:一口に「Aセクシュアル」と言っても、「グレーAセクシュアル」や「デミセクシュアル」などのように、単純な定義ではとらえきれないアイデンティティを持つ人々もいる。また、性的指向に関するアイデンティティのほかに、恋愛的指向に関するアイデンティティも無視してはならない。なお「グレーAセクシュアル」「デミセクシュアル」や「恋愛的指向」などについてはググれば出てくるので、各自調べてほしい

*2:ここで言う「主観的に」とは、精神や感情のレベルで、ということ

*3:そもそも、もし「生涯Aセクシュアルであり続けること」がAセクシュアルを名乗る条件だとするなら、「Aセクシュアルであることが、死ぬまで証明できない」ということになってしまう。こうした論点については、こちらの記事 恋愛しなくちゃいけないの? アセクシュアルの私が感じる生きづらさ が読みやすくてオススメ

*4:病名の訳語が不正確かもしれませんが、ご容赦ください

*5:トランスジェンダージェンダークィアジェンダー中立、アンドロギュノスなどのアイデンティティが挙げられている

*6:たとえば乱交、自慰、S/Mなどの性実践や、レズビアンやゲイなどの性的アイデンティティ

*7:前述のように、性的指向と恋愛的指向は区別して考える必要がある