境界線の虹鱒

セクシュアリティ徒然草(情報の正確さは保証いたしませんので自己責任でご活用ください)

【文献メモ】トランスジェンダー差別とクィア・アフェクト理論――アメリカの「トイレ法案」を事例に

Julie D. Nelson, 2018, “Governing Bodies: The Affects and Rhetorics of North Carolina’s House Bill 2” Lei Zhang, Carlton Clark eds., Affect, Emotion, and Rhetorical Persuasion in Mass Communication, New York: Routledge, 106-114.

2016年2月にノースカロライナ州の都市シャーロットで、公共施設が性的指向性自認にもとづいて人々を差別することを禁じる市議会条例が可決された。ところがこれに対抗する形で、2016年3月にノースカロライナ州知事パット・マクロリーがNorth Carolina House Bill 2(略称HB2、通称「トイレ法案」Bathroom Bill)に署名した。この法案は、トランスジェンダーの人々に出生証明書の性別に応じた公衆トイレを使用することを義務づける、というものである。

この章では、まず法案が部分的に撤回されるまでの顛末を確認する。次いで、どのようにして情動がトランスジェンダージェンダー規範に従わない(gender nonconforming)人々のクィアアイデンティティと文化的反応を形成するかを考えるために、クィア研究における情動理論をサーヴェイする。最後にHB2支持派のレトリックなどを分析し、とりわけトイレが象徴的な文化的、情動的な場となったときに、いかにして情動が世論を形成するかを考察する。

HB2の背景(HB2 Background)

この法案は2017年3月に部分的に撤回されたが、それにもかかわらず法案の衝撃は広範囲に及んでいる。本節では、ノースカロライナ州知事マクロリーによる署名以降の顛末を概観する*1

州知事マクロリーの署名後、HB2は公民権の侵害だとして複数の企業が州をボイコット

・同法案は公民権法第9編(the Civil Rights Act, Title IX)と女性に対する暴力防止法(the Violence Against Women Act)に違反しているとして、2016年にアメリカ司法省がマクロリーを告訴

・企業の大規模なボイコットにより、12年間で40億ドル近くの州の収入が失われるという見積が公表。これによって多くのノースカロライナの住民が抗議し、2016年の州知事選挙にてマクロリーが僅差で敗北

全米大学体育協会NCAA)が、48時間以内にHB2を部分的に撤回しなければノースカロライナでの大会予定を変更すると表明。これを受けてトイレに関する条項は削除された。しかし依然として、LGBTQの人々を差別なく保護するための議案を地方自治体が可決することは禁じられたままだった。それゆえ「偽りの撤回」(fake repeal)や "HB2.0."などと批判された。

・このような流れを受けて、ほかに16の州で同様の法案が推進されたが、現時点では他の法案は成立していない

クィア理論 

西洋では、物事を二元論的に捉える見方が歴史的に存在した(男/女、白人/黒人、論理/感情、異性愛/同性愛、正常/逸脱、など)。さらにこうした二元論的な枠組みには権力関係がともなっており、一方が特権化され他方が従属的地位におかれている。さらに二元論的な見方のもとでは、ジェンダーセクシュアリティに関する多様なアイデンティティ(パンセクシュアル、トランスジェンダーアセクシュアルインターセックスなど)が不可視化される。

こうしたヘテロノーマティヴィティ(男女の関係が自然で正しいという信念)や、「男」「女」は出生時に決定される固定的なアイデンティティであるという思い込みを批判的に検討するのが、クィア理論である。

ジェンダー二元論やヘテロノーマティヴィティにもとづく排他的な実践は、言語のレベルだけでなく身体のレベルでも学習され強制される。人間の身体には、他者との交流や環境に応えるような生理的反応が備わっている(例:幸福に温かみをいだいたり、恐怖で緊張したり、嫌悪からすくみ上ったり)。そのためクィアな人々は、排除されたり受容されたりしていることを身体で感じ取る。

情動に関する諸理論は、いかにして身体的感覚と強度が世界についての理解を形成するか、ということに焦点を当てている。それゆえ、クィアアイデンティティを構成しつつ周縁化するような感覚、感情、欲望を考えるさいに、情動理論が役に立つ。

クィアな情動(Queer Affects)

情動の第1の機能:さまざまなものと結びつく(アタッチメント)

人文社会系の研究ではブライアン・マッスミなどの情動理論(情動をはっきりした意識の外側で働くものと定義している)から議論を進めるものが多い。これに対してクィア研究では、心理学者シルヴァン・トムキンス(Silvan Tomkins)の情動理論に依拠する傾向がある。トムキンスの場合、マッスミよりも情動を流動的に定義しており、しばしば感覚や感情あるいは気分(feeling, emotion, or mood)と言った概念と置き換え可能なものとして使われる。

イヴ・コゾフスキー・セジウィック(Eve Kosofsky Sedgwick)*2トムキンスの情動理論をクィア理論に統合し、「情動は、事物、人々、思考、感覚、関係、活動、意思、組織、または他の情動を含む数多くの他のものと結びつき、そして結びつきうる」と主張している*3セジウィックは、このようなアタッチメント(結びつき)を情動の1つの主要な機能と位置づけている。

情動の第2の機能:自己と社会についての捉え方を形成する

多くのクィア理論家が、恥をクィアアイデンティティに付随する共通の情動だと論じている。恥は特定の集団を「逸脱している」ものとして徴しづけ、そして否定性を当の集団自身へと向ける。エルスペス・プロビン(Elspeth Probyn)*4によれば、恥は身体が相互作用する仕方や私たちが社会を理解する仕方を形成する*5。このような相互作用によってクィアな人々は、自身のアイデンティティにネガティブな情動が結びつき、その蓄積のもとで生が形成されることになる。

またメーガン・ワトキンス(Megan Watkins)*6によれば、このように特定の情動をともなう経験が続くことによって、人々に特定の行為や反応を促す傾向が生じる。ネガティブな情動をともなう経験が繰り返されるなかで、自分自身の捉え方が形成されるのである。

情動の第3の機能:公共的な場に参加できる可能性を拡張/制限する

ローレン・バーラント(Lauren Berlant)*7によれば、公共空間は情動的なものであり、そこでは文化的な区分や慣習によって、包摂される人と排除される人が巧妙に生み出される*8。またサラ・アーメッド(Sara Ahmed)*9によれば、身体が空間内へ拡張される仕方や、空間内で制限される仕方によって「諸身体はジェンダー化され、セクシュアル化され、人種化されている」。アーメッドは公共の場に存在することを歓迎される身体を「拡張された」(extended)身体と呼ぶ。これに対して社会的マイノリティは、公共の場に現れることを制限される(お前は誰だ、なぜここにいるのか、何をしているのか、などという疑問を向けられることによって)。

情動の第4の機能:大衆感情を生み出す

公共的な情動が繰り返されることで、バーラントが「情動的公共圏」(affective public sphere)と呼ぶような集合的/文化的感覚が構成される。クィアな人々への恐怖は、LGBTQフォビックな大衆感情を形作る情動である。

アーメッドによれば、異性愛の生活と生殖の正当性を脅かすものとしてクィアネスを位置づけるような文化的原理が「強制的異性愛」である。強制的異性愛は、公共空間におけるクィアな身体の移動を判定し制限する特権をシスジェンダー化された人々に付与している*10。現代では情動的公共圏は、地理的なコミュニティだけでなくデジタルなコミュニティにも広がっている。

情動分析(Affective Analysis)

トイレが焦点化されたことの意味

HB2の法案には具体的な犯罪名や刑罰の内容を明記したガイドラインはなかった。こうしたガイドラインの不備に加え、人的リソースの兼ね合いもあり、トイレをパトロールするための人員を配備しない警察も複数あった。それゆえHB2が実施されていた年でも制度的な実行力は希薄であり、あくまでも象徴的なものであった。それでもこの法案は、出生証明書に書かれた性に従って振る舞うことを人々に期待し、「不適切に」ジェンダー化された人々をあぶり出すことを促すような情動的公共圏を作り出すことにつながった。

この法案をめぐる議論では、トイレという場所が焦点化されたことによる影響を無視してはならないだろう。そもそもトイレという場所に対する文化的な理解が、安全、脆弱、恥といった感覚に根差している*11。だからこそ、トイレに焦点を当てるHB2のレトリックは、自分自身の身体機能に結びついた個人的な感覚や困惑を首尾よく呼び起こすことになる。私たちの文化におけるトイレに対する情動的な歴史によって、トイレへ「脅威」が入って来ることに対する恐れが強化されると考えられる。

トランスジェンダーの自己形成に対する影響

公衆トイレに入ることで自身のアイデンティティを公に宣言するという行為そのものが、ジェンダー規範に従わない(gender nonconforming)ように見える人々やジェンダー規範に従わない人々の恥を引き起こすこともある。たとえばトランスジェンダー・アクティヴィストのHunter SchaferはHB2があった時期に高校時代を過ごしていたが、当時どちらの公衆トイレを使うべきか悩んでいたときの感覚について、次のように語っている。

私はおしっこをするたびに無法者(outlaw)であるような感じがして、まるで[排泄という]この自然な身体機能が許されない(unforgivable)行為であるかのようでした*12

「不法者」や「許されない」という言葉から、ネガティブな情動が蓄積したことでSchaferがいかに自分のことを倒錯的で恥ずかしいと感じるようになったか、ということを見て取ることができる。彼女は法的に処罰されたことこそないものの、HB2の情動は彼女が自分自身を理解したり世界と相互作用したりする仕方を形成するうえで、強力に作用した。そのためSchaferは、男/女の選択を強いられる場面を避けるために、公衆トイレをできるだけ使わないようにしていたと語っている。ワトキンスが示唆するように、情動をともなう経験が繰り返されることは、その人の機会を拡張したり制限したりすることにつながるのである。

HB2支持派のレトリック

HB2支持派は、クィアに見える身体にネガティブな情動を付与することに加えて、「プライバシー」と「セキュリティ」という2つのレトリックを強調した。HB2支持者は、クィアは捕食者(predator)で精神障害で性倒錯だというような長年のLGBTQフォビックな信念を復活させ、クィアな人々は「プライバシー」と「セキュリティ」両方にとっての脅威であると仄めかした。

またマクロリーは、「男性が女性の施設に入ることや女性が男性の施設に入ることに関する重大なプライバシー上の懸念」があったと主張していた。単に施設に「入る」というだけでは脅威とは思われないが、そこに「重大な懸念」という漠然とした言葉を意図的に用いることによって、LGBTQ差別を禁止することに何らかの問題があるかのような誘導を(実際にどのような問題があるのか明らかにすることなく)行った。

HB2支持者はこうしたマクロリーの発言を、「男性が女性用トイレに恥ずかしげもなく侵入して女性に危害を加える」というシナリオとして解釈した。とりわけソーシャルメディアで、「セキュリティ」を強調するようなHB2支持の発言が拡散された。このようにして、(アーメッドの言うように)人々のジェンダーアイデンティティを規制することは、クィアな人々や「クィアに見える」人々の移動を制限することになる。またマクロリーは、あたかも「子どもの安全」と「政治的正しさ」が両立しないかのようなレトリックを用いることで、HB2反対派の意見をばかげたものであるかのように位置づけた。このような流れを経て、HB2支持派のレトリックが拡散することによってデジタルな情動的公共圏が形成され、それによって主流メディアや一般大衆の注目を集めることにつながった。

LGBTQフォビアを捉えるための情動理論

HB2は決してトイレの利用だけにとどまる問題ではない。HB2はジェンダー二元論に固執する一般大衆に訴えかけるものであり、その中心にトランスフォビアがあることを見落としてはならない。HB2に結びついた情動は、クィアな人々を恥じ入らせ、クィアな人々への恐怖を広めるのである。

LGBTQフォビアについての議論やレトリックを掘り崩していくためには、感覚や感情そして欲望がどのように私たちを説得するか、ということを考えなければならない。そのときに情動理論が有効な枠組みとなるだろう。

その他オススメ記事

当該論文の要約は以上である。以下付録として、関連しそうな文献や記事へのリンクをメモしておく。

エリック・シャウス「フィーリング、エモーション、アフェクト」(難波優輝訳)

情動理論(とりわけマッスミ)におけるフィーリング、エモーション、アフェクトという3つの概念を整理した短い論文。以下のリンク先でダウンロードできる。

タリア・メイ・ベッチャー "Trans 101" 紹介記事(小宮友根)

トランスジェンダーにかんする哲学的な論点をまとめた文献を紹介した記事。「身体に対する感情投入」についても注目しており、本記事と関連する議論として読める。

注釈

*1:ハウスビル2について日本語で読めるネット記事として以下のものがある。

*2:Sedgwick 2003, Touching Feeling: Affect, Pedagogy, Performativity

*3:例:苦痛な経験にはネガティブな情動が結びつくことが多いが、しばしばポジティブな情動が結びつくこともある

*4:Probyn 2005, Blush: Faces of Shame

*5:例:公衆トイレで見知らぬ人から怪訝な顔をされる、ソーシャルメディアでアンチゲイ的な書き込みを投稿する、LGBTQのヘイトクライムをニュースメディアが報道せずにおく、内科医が患者をシスジェンダーだと思い込む、バリスタが間違った代名詞を使う、など

*6:Watkins 2010, "Desiring Recognition, Accumulating Affect" In The Affect Theory Reader

*7:Berlant 2008, The Female Complaint

*8:例:現在のアメリカでは、アフリカ系アメリカ人は別々のトイレを使う必要がない。それにもかかわらず、現代の経済的、教育的、不動産的な慣習を通じて、アフリカ系アメリカ人を裕福な白人居住区や公共の場から締め出すような人種的分離が依然として機能している

*9:Ahmed 2006, Queer Phenomenology: Orientations, Objects, Others

*10:このことは、HB2のような明示的な法律だけでなく、自分は迷惑がられているのではないかとクィアな人々が感じるような、日常的な相互作用にも見られる

*11:たとえば私たちは、排泄や月経のような生物的な行動は見苦しいものである、という感覚を幼いころから培っている

*12: