境界線の虹鱒

研究ノート、告知、その他

【文献紹介】A. W. イートン「賢明な反ポルノフェミニズム」前編

Eaton, A. W. 2007. “A Sensible Antiporn Feminism.” Ethics 117(4):674–715.

ポルノグラフィをめぐっては、日本でもネットなどでしばしば論争になる。しかしそうした “論争” は、対立する双方が論点を共有していないことも多く、往々にして不毛な議論になりがちである。実り多き議論のために、まずは「フェミニズム的なポルノ批判がどのような論理に立脚しているのか」を確認する必要があるだろう。今回取り上げる論文は、反ポルノフェミニズムの論理を基礎から徹底的に論じるものであり、賛同するにせよ批判するにせよ、議論の出発点になりうる研究である。早速本文の内容に入っていこう*1

イントロダクション

アメリカではポルノをめぐって今も論争が続いているが、近年では反ポルノフェミニズムは公的な存在感を弱めている。Laura Kipnisのようなセックスポジティブなフェミニストや、Annie Sprinkleのようなフェミニストを自認するポルノ作家が支持されている学会でも、反ポルノフェミニズムは縮小している。 今日の人文科学では、ポルノの作品に反発するよりも、作品を批判的に分析する傾向がある。

背景としてポルノ産業の発達やインターネットの影響などを指摘する論者もいるが、それ以上に、反ポルノフェミニストの主張が過度に単純化されてきたと思われる。この論文では、議論のなかで用いられる概念を明確化し、反ポルノフェミニズムの枠組みを精緻化することで、賢明な(sensible)反ポルノ論を構築することを目指す。

1. 有害仮説――そもそもなぜポルノが問題なのか

まずは「ポルノグラフィ」という言葉の意味を明確化するところから始める。つまり「反ポルノ」というときに何が批判対象とされているのか、ということを明確にするのである。

賢明なポルノ批判では、批判の範囲を「不平等なポルノグラフィ」(inegalitarian pornography)に限定する。「不平等なポルノグラフィ」とは、ジェンダー不平等によって特徴づけられた関係(行為、シナリオ、または姿勢)を全体としてエロス化するような、性的にあからさまな表現」のことである(Eaton 2008: 676)。ただし、「不平等なポルノグラフィ」は必ずしも暴力的なポルノグラフィとは限らない。たとえばある種のBDSMのように、外見上は暴力的だが必ずしも不平等とは言えない性行為がある。さらに暴力的ではないが不平等である場合もある。以下「ポルノグラフィ」という語で「不平等なポルノグラフィ」を指すものとする。

では、こうした「不平等なポルノグラフィ」は何故、どのようにして女性に害となるのだろうか。ポルノグラフィが女性に害を及ぼすとする主張を総称して「有害仮説」(harm hypothesis)と呼ぶ。この仮説は以下のような論理に則って主張される。

i) 私たちの社会はジェンダー不平等を特徴としている。

ii) これは重大な不正義である。

iii) 女性の従属は決して自然なものではなく、社会的要因の束によって維持・再生産されている。そうした要因には露骨なものもあれば些細なものもある。

iv) ある意味で、ジェンダー不平等は多くの人々にとって性的な魅力あるものとなっている。

v) こうした不平等な関係への性的欲望もまた自然なものではなく、さまざまな種類の表現を通じて形成される。

vi) ジェンダー不平等を性的な魅力あるものへと変換することは、ジェンダー不平等を許容しやすくするだけでなく、むしろそれを楽しめるものにしてしまう。さらにジェンダー不平等に結びついた喜びは、多くの人々に浸透してゆき、それによってジェンダー不平等を広げる。こうしたジェンダー不平等のエロス化は、男性にも女性にも作用する。そしてジェンダー不平等のエロス化は、性差別に有利な肉体的欲求や性的欲望を高める。

vii) ポルノグラフィは、a) 受動的な征服の対象から屈辱、堕落、性的虐待のシナリオに至るまで、様々な不平等な関係や状況から性的快感を得る女性を描写することや、あるいは b) 性的興奮を目的とした方法で従属の表象を提示することによって、ジェンダー不平等のメカニズムや規範などをエロス化する。

 ゆえにポルノグラフィは特に、視聴者にジェンダー不平等な見方を内面化させるものである。このように、フェミニズムはポルノグラフィが猥褻だから批判しているのではなく「ポルノグラフィは女性の利益を追求する能力を損なうか、または妨げるという意味で、女性を傷つける原因となる」から批判しているのである。

 ただし議論を進める前に、この仮説についていくつか補足すべきことがある。

1. 不平等なポルノグラフィが批判されるのは、単に女性が従属させられている様子を描いているからではない。あくまでも問題なのは、不平等なポルノグラフィが女性の服従や堕落を是認したり推奨したりすることである。たとえば、女性の性虐待被害を告発するドキュメンタリーなどは、女性の従属を描いているからといってフェミニズムの批判対象となるわけではない*2

では、どのような場合に「女性の服従や堕落を是認したり推奨したりする」ことになるのだろうか。Eatonによれば以下の3つの要素によって、ポルノグラフィがジェンダー不平等を是認する。(a) 従属、堕落、またはモノ化する行為が加害者とその行為の対象となる女性の両方にとって楽しいと強く示唆する表現であり、(b) そのような扱いが容認され、また相応しい扱いであると示唆するような表現である。さらに(c) 不平等なポルノグラフィは、女性が堕落してモノ化した描写をエロス化する。

2. 一口に「ポルノグラフィがジェンダー不平等をエロス化する」と言っても、そこでエロス化されるジェンダー不平等の程度はさまざまである。たとえば、暴力的でなくとも、支配的な男性によって女性が性的に刺激されるという描写はジェンダー不平等的であると言える。

3. ポルノグラフィだけがジェンダー不平等を促進し維持するわけではない。しかしポルノグラフィは、激しくエロチックな形式によって、特に強く不平等なメッセージを発する。

4. 有害仮説は社会構築主義の枠組みに現れる必要はない。ジェンダー不平等は自然なものなのか、そうした不平等に性的魅力を抱くことは自然なものなのか、という議論は究極的には解決しないかもしれない。しかし、ジェンダー不平等は正当ではなく、そのエロス化を通じて強化されたり仕込まれたり悪化されたりすることがありうる。必要なのはこの点を受け入れることであり、一切のジェンダー不平等がすべて社会的に構築されているという主張を受け入れる必要はない。

5. ジェンダーヒエラルキーをエロス化することは、すでに存在する不平等の条件を強化したり悪化させたり、差別的な振る舞いへの非難を弱めたりして、それによって聴衆をジェンダー不平等の心理を内面化させやすくするものである。ここからわかるように、ポルノグラフィの害は必ずしもレイプを増加させるという形をとるとは限らない。ポルノグラフィの有害/無害を考えるうえで、レイプ件数は決して唯一の指標ではないのだ。

以上を踏まえたうえで、今度はポルノグラフィによる害を丁寧に腑分けしていく作業に移ろう。

2. 害の分類――ポルノにはどのような問題がありうるか

Eatonはポルノグラフィによる害を詳細に分類する。まず、ポルノグラフィへの晒されを「第1段階の原因」(stage 1 cause)、ポルノグラフィ消費者への影響を「第1段階の影響」(stage 1 effect)、消費者に促す行動を「第2段階の原因」(stage 2 cause)、他の当事者への加害を「第2段階の影響」(stage 2 effect)として、大きく4つに区分する。以下で各段階を細かく見ていく(章末に議論を整理した図が掲載されているので、参考にしてほしい)。

第1段階の原因(stage 1 cause)では、ポルノグラフィを視聴する段階が扱われる。ポルノグラフィの視聴は、さらに「単一的な原因」(Singular causes)と「拡散的な原因」(Diffuse causes)に分けられる。前者は特定のポルノグラフィを単発的に視聴することであり、後者は継続的に様々なポルノグラフィを視聴することである。単一的な原因と拡散的な原因のそれぞれについて、(1) 視聴するポルノグラフィがどの程度不平等的か、(2) 視聴頻度や期間によって分類できる。さらにポルノグラフィ使用が限定された集団のなかにとどまっているか、社会に広く浸透しているか、という点に注目することも重要である。

第1段階の影響(stage 1 effect)は、ポルノグラフィ消費者への影響である。先に述べた「単一的な原因」は、他の影響から独立しており、また即座に定着するような影響を与える。これを「独立した影響」(Isolated effects)と呼ぶ。ポルノグラフィに対するほとんどの心理的反応は前者の独立した影響である。これに対して「拡散的な原因」は「累積的な影響」(Cumulative effects)を与える。独立した影響と累積的な影響のそれぞれについて、「生理的な影響」(physiological effects)と「態度的な影響」(attitudinal effects)がある。前者は不平等な表現に対する性的反応を調教するという影響であり、後者は女性の劣位に関する意識や信念への影響である。態度的な影響はさらに意識的/無意識的、積極的/消極的に分けられる。この第1段階の影響は、控えめな性差別的態度から、実際の暴力行為まで、重大さについて連続性がある。

第2段階の原因(stage 2 cause)は、第1段階の影響が社会に現れたものである。言い換えれば、ポルノグラフィの影響を受けた人々の行為である。第1段階の原因と同じく単一的/拡散的に分けられる。さらに言語的/非言語的、暴力的/非暴力的、ささい/ひどい、というように多様な行為が含まれる。また、害の現れ方も多様であり、家庭での行為から職場で行為、あるいはプライベートな性関係から法廷での争いにいたるまで、公/私でさまざまに区分できる。具体例としては、専門的な状況で女性の身体を公然と見ている習慣のようなものから、裁判で強姦者に寛容になるという無意識なもの、同意のセックスと強要されたセックスを区別できない、というものなどが挙げられる。

第2段階の影響(stage 2 effect)は、第2段階の原因によって(主に女性が)受ける被害のことである。これも独立的/累積的の2つに分類できる。さらに下位分類として、身体的な被害か心理的被害か(あるいは両方か)という分類が挙げられる。この被害についても、軽度な被害から重大な被害に至るまで様々である。

最後に、上記の4つすべてを横断する区分として、「個々人としての女性」への被害と「集団としての女性」への被害、という分類ができる。前者は特定の個人が受ける被害である。後者は、特定の個人が被害を受けたとは言えないが、総体としての女性の地位を引き下げるようなものである。

以上を整理したものが、次の図である*3

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このように、ポルノグラフィからは複合的で連続的な害を想定できるが、そのうちどれが妥当な有害仮説で、どれが非合理的な主張なのかを選り分けることが必要である。また、害の種類によって求められる対応・対策も変わってくる*4。上記の分類によって、そうした議論を洗練させることができるようになる。

長くなったので、ここで一区切りとする。後編では以下のような論点が検討される:

・「ポルノグラフィが性差別や性暴力の「原因である(cause)」と言われるとき、「原因である」とは具体的にどのような意味なのか?

・実証的な先行研究ではポルノの悪影響について賛否両論あるが、これらの先行研究をどのように評価するべきか?

・結局「有害仮説」は立証されたのか?

 

*1:以下、誤解や誤読などがありましたら是非コメント等でご指摘ください。

*2:この点について正しく理解できていない論者が、ポルノ批判側にもしばしば散見されるとEatonは指摘している。

*3:画質が悪いので、読みにくい方は元の論文データを確認してください

*4:ポルノが有害であると主張するからといって、必ずしもポルノの法的規制を要求するわけではない。どのような意味で「有害」なのかによって、法的規制という手段で対応すべきか否かも議論が分かれるのである。こうした点を検討するためにも、害の分類は欠かせない。