境界線の虹鱒

研究ノート、告知、その他

【被引用リスト】私の論文を読んだ人はこんな論文を書いています

マンガ『ぼっち・ざ・ろっく』の1コマ。怪獣の着ぐるみを来たぼっちちゃんが承認欲求モンスターになって「いいね」を要求している。

……ということで、拙論を参照してもらえるととても嬉しいので、見つけた範囲のものをリストにしました。見落としがあれば教えてください(読みます)。

(※最終更新日:2024年3月27日)

アセクシュアル研究におけるセクシュアルノーマティヴィティ(Sexualnormativity)概念の理論的意義と日本社会への適用可能性 (『西日本社会学会年報』)【全文公開】

綾部六郎,2022,「日本国憲法をめぐる現代的課題――性的マイノリティの問題を中心に 」『ジェンダー研究』(24): 129-141.(※右リンク先で全文公開されています: https://libra.or.jp/wp/wp-content/uploads/2023/09/gstudy24-2.pdf

三宅大二郎・平森大規,2023,「日本のアロマンティック/アセクシュアル・スペクトラムにおける恋愛的指向の多面性」『Gender and Sexuality』18: 1-25.

佐川魅恵,2023,「「性的な存在」の関係論的形成――恋愛/性愛における違和の経験に着目して」『Gender and Sexuality』18: 27-50.

廖希文,2023,〈紙性戀處境及其悖論――情動、想像與賦生關係 (On Fictosexual Position and its Paradox: Affacts, Imaginary, and Animating Relationships) 〉「動漫遊台灣2023:台灣 ACG 的過去、現在與未來」國際學術研討會 研討會論文.

井村麗奈,2024,「Aro/Ace 作品の表象と受容につきまとう困難と可能性――日本の状況と照らして」『文化交流研究』19: 1-19.

メランコリー的ジェンダーと強制的性愛:アセクシュアルの『抹消』に関する理論的考察(『Gender & Sexuality』)【全文公開】

江永泉・木澤佐登志・ひでシス・役所暁,2021,『闇の自己啓発』早川書房

松尾由希子,2021,「Aセクシュアルの大学生が捉える自己と将来への展望――インタビュー調査を通じて」『静岡大学教育研究』17: 37-52.

三宅大二郎・平森大規,2021,「日本におけるアロマンティック/アセクシュアル・スペクトラムの人口学的多様性――「Aro/Ace調査2020」の分析結果から」『人口問題研究』77 (2): 206-232.

川崎唯史,2022,『メルロ=ポンティの倫理学――誕生・自由・責任』ナカニシヤ出版.

古怒田望人,2022,「『抹消された快楽』において抹消されるトランスの快楽」『Limitrophe』1: 18-25.

鈴木菜実子,2022,「アセクシュアルに関する精神分析的理解について」『駒澤大學文學部研究紀要』79: 65-75.

「現実性愛中心主義」とマンガ表現規制:いわゆる「二次元コンプレックス」の視点から(『マンガ論争』)【販売サイト】

伊藤剛,2022,「生きてしまうキャラ」鈴木雅雄・中田健太郎編『マンガメディア文化論——フレームを越えて生きる方法』水声社,415-451.

児童ポルノ規制」としてのマンガ表現規制におけるセクシュアリティの政治――「対人性愛中心主義」という観点から(『人間科学共生社会学』)*1

上田正基,2023,「わいせつ規制をめぐる諸課題」『刑事法ジャーナル』(75): 12-17.

二次元の性的表現による「現実性愛」の相対化の可能性:現実の他者へ性的に惹かれない「オタク」「腐女子」の語りを事例として(『新社会学研究』)【出版社サイト】

上田正基,2022,「わいせつ規制をめぐる諸課題」『刑事法ジャーナル』(75): 12-17.

廖希文,2023,〈紙性戀處境及其悖論――情動、想像與賦生關係 (On Fictosexual Position and its Paradox: Affacts, Imaginary, and Animating Relationships) 〉「動漫遊台灣2023:台灣 ACG 的過去、現在與未來」國際學術研討會 研討會論文.

アセクシュアル/アロマンティックな多重見当識=複数的指向(『現代思想』)【出版社サイト】

筒井晴香,2022,「「推す」ことの倫理を考えるために」香月孝史・上岡磨奈・中村香住編『アイドルについて葛藤しながら考えてみた――ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』青弓社,46-71.

山田昌弘,2022,「ペットの家族化の進展とその帰結――ネットモニター調査による考察」『社会科学研究所年報』(27): 3-21.

廖希文,2023,〈紙性戀處境及其悖論――情動、想像與賦生關係 (On Fictosexual Position and its Paradox: Affacts, Imaginary, and Animating Relationships) 〉「動漫遊台灣2023:台灣 ACG 的過去、現在與未來」國際學術研討會 研討會論文.

日常生活の自明性によるクレイム申し立ての「予めの排除/抹消」:「性的指向」概念に適合しないセクシュアリティの語られ方に注目して(『現代の社会病理』)【全文公開】

廖希文,2023,〈紙性戀處境及其悖論――情動、想像與賦生關係 (On Fictosexual Position and its Paradox: Affacts, Imaginary, and Animating Relationships) 〉「動漫遊台灣2023:台灣 ACG 的過去、現在與未來」國際學術研討會 研討會論文.

メタファーとしての美少女――アニメーション的な誤配によるジェンダー・トラブル(『現代思想』)【出版社サイト】

廖希文,2023,〈紙性戀處境及其悖論――情動、想像與賦生關係 (On Fictosexual Position and its Paradox: Affacts, Imaginary, and Animating Relationships) 〉「動漫遊台灣2023:台灣 ACG 的過去、現在與未來」國際學術研討會 研討會論文.

難波優輝,2023,「長谷川白紙と多受肉するペルソナたち――声と身体をめぐる新たな表現ジャンル「多受肉する歌い手」の誕生––––ARuFa、月ノ美兎、ヨルシカ、ずっと真夜中でいいのに。、Ado、いよわ––––について」『ユリイカ』814(55-17): 140-151.

アニメーション的な誤配としての多重見当識――非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察(『ジェンダー研究』)【全文公開】

廖希文,2023,〈紙性戀處境及其悖論――情動、想像與賦生關係 (On Fictosexual Position and its Paradox: Affacts, Imaginary, and Animating Relationships) 〉「動漫遊台灣2023:台灣 ACG 的過去、現在與未來」國際學術研討會 研討會論文.

高橋幸,2024,「ジェンダーとセクシュアリティ」松本康監修・小池靖・貞包英之編『社会学の基礎』有斐閣,131-145.

対人性愛中心主義批判の射程に関する検討――フェミニズムクィアスタディーズにおける対物性愛研究を踏まえて(『人間科学共生社会学』) 【全文公開】

廖希文,2023,〈紙性戀處境及其悖論――情動、想像與賦生關係 (On Fictosexual Position and its Paradox: Affacts, Imaginary, and Animating Relationships) 〉「動漫遊台灣2023:台灣 ACG 的過去、現在與未來」國際學術研討會 研討會論文.

抹消の現象学的社会学――類型化されないことをともなう周縁化について(『社会学評論』)

吉川孝,2023,『ブルーフィルムの哲学――「見てはいけない映画」を見る』NHK出版.

その他

以上は論文や書籍で参照していただいたものでしたが、学会報告や講演などの資料で拙論に言及していただいていたものを列挙しておきます。

佐々木隆,2022,「オタク書誌増補(抄)」『ポップカルチャー・若者文化研究』8.

・Reina Saijo, 2023, "Attachment to Artifact: What a Feminist View of Female-Gendered Robot Makes Invisible," SPT (Society for Philosophy and Technology) 2023. https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/detail/236124/0ece501d0a95063cbc2ed2a8a0d344d8?frame_id=688885

・Reina Saijo, 2023, "On Possible Interpretations of Female Robots from an Intersectional Feminist View,"  Taiwan STS Association Annual Conference 2023. https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/detail/236124/5fbb24c36536191c02af9acf6a840549?frame_id=688885

・西條玲奈,2024,「人工物のジェンダー化と脱ジェンダー化」日本大学文理学部第19 回哲学ワークショップ「性と身体の美をめぐって:おしゃれ・人工物・ゾンビ」.https://researchmap.jp/reinasaijo/presentations/45755847

・梁展章, 2023, "Becoming-fictosexual: Romantic relationship and attachment to fictional characters from the posthumanist perspective," 臺灣社會學會年會.  https://www.tsameetings.org.tw/page.php?menu_id=79&new_id=375

・廖希文,「賦生親屬,非人成家:從東亞前現代異類婚姻到當代紙性戀婚禮(發表簡報)」臺灣人類學與民族學學會2023年會(2023年9月24日),台北市,台灣.https://www.facebook.com/ficto.sex.tw/posts/pfbid0JvDSkSHmgmuqHEJo1yiZNzkufoFodxG4FMznmCNw1gWWBdH7Kw2sU15ECrcUqr1Kl

・廖希文,2023,「非對人性戀的多重定向:酷兒閱讀《戰鬥美少女的精神分析》」. https://www.facebook.com/ficto.sex.tw/posts/pfbid0my5wUv8CNDnhNBWh2qH7mSjWMhky7CPFJBYttyr3LtR3NNYMcmA9dUhh3PVdzABBl

*1:この論文はウェブ公開していないが、この論文をアップデートしたものとして、以下の論文を執筆している。
グローバルなリスク社会における倫理的普遍化による抹消――二次元の創作物を「児童ポルノ」とみなす非難における対人性愛中心主義を事例に(『社会分析』)
https://researchmap.jp/mtwrmtwr/published_papers/41326940

フィクトセクシュアルについて卒論・修論を書きたい人向け文献案内

フィクトセクシュアルやフィクトロマンティック、あるいは架空のキャラクターとの性愛や恋愛について研究したいという方のために、いくつか文献を紹介したいと思います*1。ひとまずこの辺りの文献を読んでみて、そこで参照されている先行研究を芋づる式に辿っていく、という形でご活用ください*2

フィクトセクシュアルについての研究

まずは一般向けの概説論考を挙げておきます。

松浦 優 (Yuu Matsuura) - フィクトセクシュアルから考えるジェンダー/セクシュアリティの政治 - 講演・口頭発表等 - researchmap

いきなり拙論で恐縮ですが、今のところはこれが一番まとまっているのではないかと思います。講演原稿なので論文よりも読みやすいはずです。文献リストも付いています。

直接的にフィクトセクシュアルを扱っている研究としては、以下のものが挙げられます。

Karhulahti, Veli Matti, and Tanja Välisalo. 2021. “Fictosexuality, Fictoromance, and Fictophilia: A Qualitative Study of Love and Desire for Fictional Characters.” Frontiers in Psychology 11. 

英語圏のウェブ言説を調査した論文です。論文執筆のとっかかりとして使いやすいかなと思います。

松浦優,2021,「日常生活の自明性によるクレイム申し立ての「予めの排除/抹消」――「性的指向」概念に適合しないセクシュアリティの語られ方に注目して」『現代の社会病理』36: 67-83.

日本語圏のSNSにおける「フィクトセクシュアル」の語られ方を調査した論文です。予備的な調査ですが、当事者の語りや、フィクトセクシュアルに対する偏見や周縁化の事例を扱っています。

●松浦優,2021,「二次元の性的表現による「現実性愛」の相対化の可能性――現実の他者へ性的に惹かれない「オタク」「腐女子」の語りを事例として」『新社会学研究 2020年 第5号新曜社

タイトルどおりのインタビュー調査をしています*3

廖希文,2023,「紙性戀處境及其悖論:情動、想像與賦生關係(会議論文)」「動漫遊台灣2023:台灣 ACG 的過去、現在與未來」國際學術研討會,2023年4月29日,台北市,台灣.

台湾大学の院生の廖希文さんが、フィクトセクシュアルについての調査を発表したものです。中国語ですが、機械翻訳でざっと見ても参考になるかもしれません。

調査の注意点

分野によっては、アンケートやインタビューなどの調査を行う人もいるかと思います。調査法については分野ごとに色々あると思いますので、指導教員と相談しながら行ってください。

ただし、性的マイノリティに関わる調査ですので、調査倫理の問題がとりわけ重要になってきます。一般的な調査法の教科書などに加えて、ぜひ以下の資料に目を通しておいてください。

クィア領域における調査研究にまつわる倫理や手続きを考える:フィールドワーク経験にもとづくガイドライン試案

関連領域をおさえておく

フィクトセクシュアルに関してはドンピシャな研究は少ない状況です。とはいえ、フィクトセクシュアルについて直接的に扱っていない研究でも、うまく他の研究と組み合わせれば、有益な示唆を引き出せることもあります。研究内容がドンピシャでなくとも、論文の形式や調査方法、議論に使う語彙や理論など、アイデアや方法論の面で参考になる場合があるはずです。あるいは逆に批判対象として上手く位置づけることもできるかもしれません。いずれしても、関連しそうな領域を広めに勉強しておくのがよいと思います。

一例ですが、恋愛研究、セクシュアリティ研究、オタク論、ファン研究、メディア論、非‐人間との関係に関する研究、フィクション論などの領域が考えられます。入門・概説的な書籍や論考を中心に、参考になりそうなものをいくつか挙げておきます。自分の専門領域に応じて、役立ちそうなものをご活用ください。

恋愛研究

●高橋幸・永田夏来,2021,「討議 これからの恋愛の社会学のために」『現代思想(特集〈恋愛〉の現在)』49 (10): 8-30.

日本の社会学における恋愛研究の流れがよくまとまっています。文献案内としても充実しています。

セクシュアリティ研究

風間孝・ 河口和也・ 守如子・ 赤枝香奈子,2018,『教養のためのセクシュアリティ・スタディーズ』法律文化社.

これを一読しておくと、セクシュアリティ研究の主流的な議論の概要がある程度おさえられると思います。

日本性教育協会編,2019,『「若者の性」白書 第8回青少年の性行動全国調査報告』小学館.

第8回調査では、「ゲームやアニメの登場人物に恋愛感情を持つ」という「経験がある」かどうかを尋ねる設問が追加されています。フィクトセクシュアル/フィクトロマンティックを自認する人の割合ではない点には留意が必要ですが、議論のとっかかりに使えるデータだと思います。

クィア理論

理論や哲学の文献も押さえておくといいでしょう。上で挙げた『教養のためのセクシュアリティ・スタディーズ』にもクィア理論の解説はありますが、下の読書案内で挙げている文献も読んでみるといいと思います。

 

オタク論やファン研究

松浦優,2022,「アニメーション的な誤配としての多重見当識――非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察」『ジェンダー研究』(25): 139-157.

オタク論におけるセクシュアリティの議論については、手前味噌で恐縮ですがこちらの拙論の140~143ページで多少まとめています(決して網羅的ではありませんが……)。批判している先行研究についても、別の側面では読むに値する議論が含まれていますので、ちょっとした文献リストとして参考程度に見ていただければ幸いです。

『ユリイカ2020年9月号 特集=女オタクの現在』

上の「アニメーション」論文で押さえられていない動向として、このあたりもチェックしておいてください。

永田大輔・松永伸太朗編,2020,『アニメの社会学――アニメファンとアニメ制作者たちの文化産業論』ナカニシヤ出版.

ファン研究については、この本のPart 1「アニメファンのさまざまな実践」の各論考がオススメです。社会学的な分析方法を学ぶという意味でも参考になるはずです。

メディア論

ポール・ホドキンソン(土屋武久訳),2016,『メディア文化研究への招待――多声性を読み解く理論と視点』ミネルヴァ書房.

門林岳史・増田展大編,2021,『クリティカル・ワード メディア論――理論と歴史から〈いま〉が学べる』フィルムアート社.

メディアコンテンツという側面も議論に関わってくるかもしれませんので、メディア論にも目配せしておきましょう。概説的な教科書は色々ありますが、個人的なオススメとして2冊挙げておきます。

ちなみに個別のトピックについては、ナカニシヤ出版から出ている「シリーズ:メディアの未来」の目次をざっと眺めてみると参考になると思います。シリーズ全体の冊数は多いですが、ひとつひとつの論考は読みやすくコンパクトにまとまっています。すべて通読する必要はありませんので、出版社のウェブページで目次を眺めながら、気になった論考を読んでみてください。

非‐人間との関係に関する研究(人類学など)

前川啓治・箭内匡ほか,2018,『21世紀の文化人類学――世界の新しい捉え方』新曜社.

人間と非‐人間との関係については、近年の人類学で活発に議論されています*4。この本のとくに第1部が、そうした潮流の概説になっていますので、一読をおすすめします。理論面で参考になるかもしれません。

奥野克巳・石倉敏明編,2018,『Lexicon 現代人類学』以文社.

こちらも現代人類学の入門書です。コンパクトなキーワード集ですので、手に取りやすいと思います。目次を見て気になった項目を読んでみてください。

菊地浩平,2018,『人形メディア学講義』河出書房新社.

『ユリイカ2021年1月号 特集=ぬいぐるみの世界』

人形やぬいぐるみに関する研究も参考になるかもしれません。

関根麻里恵,2018,「ラブドール研究試論」『身体表象:学習院大学身体表象文化学会会誌』(1): 64-72.

松浦優,2023,「対人性愛中心主義批判の射程に関する検討――フェミニズム・クィアスタディーズにおける対物性愛研究を踏まえて」『人間科学共生社会学』12: 21-38.

ウェブ上で無料で読める論文も挙げておきます。それぞれラブドールと対物性愛の研究です。

フィクション論(哲学・美学)

倉田剛,2019,『日常世界を哲学する――存在論からのアプローチ』光文社

そもそも架空のキャラクターとはどのような存在なのか、分析哲学*5での議論が紹介されています。マンガ研究系のキャラ/キャラクター論とあわせて読むと面白いと思います。

源河亨,2021,『感情の哲学入門講義』慶應義塾大学出版会.

私たちがフィクションに対して抱く感情はどういうものなのか、という議論の紹介があります。私たちとフィクション(ないしフィクショナルキャラクター)との関係を考えるうえで示唆を得られるかもしれません。

高橋幸平・久保昭博・日高佳紀編,2022,『小説のフィクショナリティ――理論で読み直す日本の文学』ひつじ書房.

文学研究の論集ですが、第1部でフィクション論一般について議論しているほか、巻末の「読書案内——フィクション論 主要文献」がとても便利です。ちなみに、この本以外にもフィクション論の論集は色々ありますので、図書館などで探してみるといいと思います。

●その他美学

こちらの分析美学の文献リストも参考になるかもしれません。

その他

このほか、主にオタク論やメディア論などの領域では、架空のキャラクターとの恋愛を「疑似」恋愛とみなすタイプの議論があるかと思います。研究をする上では、そうした先行研究も目を通しておくと、(場合によっては批判対象として)役に立つかもしれません。一例として、『デジタルメディアの社会学』のなかの「ゲームはどこまで恋愛できるか」という章を挙げておきます。

ついでに、バーチャルな関係性を現実の恋愛の「代替」や「補完」とみなす研究の例として、山田昌弘「恋愛・結婚の衰退とバーチャル関係の興隆」も挙げておきます。批判的に読むべき側面もあるかと思いますが、先行する調査の事例として参考になるかもしれません。

論文の書き方について

最後に、論文の書き方についての本を紹介しておきます。この手の本は色々ありますが、実用的でオススメなのは以下の2冊です。

戸田山和久,2022,『最新版 論文の教室――レポートから卒論まで』NHK出版

論文ハウツー本といえば、まずはこれ。論理的な文章を書くコツを、基礎から分かりやすく説明しています。卒論以前のレポートのレベルから対応していますので、とくにレポートを書くのが苦手な人は必読です。

上野千鶴子,2018,『情報生産者になる』筑摩書房

戸田山本よりもハイレベルな、卒論や修論(あるいはそれ以降の研究)に役立つノウハウが詰まった新書です。文章執筆術だけでなく、研究計画や理論の使い方、分析、発表など、論文を作るプロセスを体系的に解説してあるほか、いわゆる当事者研究*6のための研究計画に関するアドバイスがあるのも特徴です*7。それなりに高度な内容ですが、とくに大学院進学を考えている方にオススメです*8

関連リンク

注釈

*1:筆者の専門分野の関係上、社会学クィアスタディーズにやや偏っています。

*2:あくまで研究のとっかかりになりそうな文献をいくつかピックアップしたものであり、決して網羅的なものではありませんので、ご了承ください。

*3:ちなみに私の修士論文の一部です。

*4:人類学ではこうした潮流を「存在論的転回」と呼ぶことがあるのですが、そこで言う「存在論」は、後述する哲学における存在論とは別物です。ただし近年では両者を架橋する試みもあるようです。Back by popular demand, ontology: Productive tensions between anthropological and philosophical approaches to ontology 日本語での紹介は難波優輝さんの連続ツイートを参照

*5:大雑把に言うと、西洋哲学にはドイツ・フランス系の「大陸哲学」とイギリス・アメリカ系の「分析哲学」という、スタイルの違う流派があります。

*6:ここでは広く当事者自身が自らの属性や問題について研究することを指しています。

*7:ただ、当事者研究の計画書に関する箇所(p.99-101)で、研究者自身の個人的な動機や立場性を明かさなければならないかのように説明している(ようにも読める)点は、やや注意が必要だと感じます。もちろん個人的な動機は重要でしょうし、立場性を意識するのも必須です。ただ、それをオープンにしなければならないとしてしまうと、とりわけカミングアウトしていないマイノリティに対して暴力的な事態になりかねません。自らの動機や立場性を熟慮することと、それを明かすかどうかは、分けて考えておくのがよいと思います。

*8:余談:上野千鶴子は性的マイノリティに関して問題含みな発言をしてきた人なのですが、とはいえ傑出した研究者ではあり、良くも悪くもパイオニア的存在だと個人的には思っています。『情報生産者になる』も示唆に富む本ですので、上手く活用するのがよいと思います。

英語圏における「美少女アニメのせいでトランスジェンダーになる」言説の事例メモ

『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』(原題: Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters)をめぐって、英語圏では保守派からのLGBT批判のなかでアニメも批判されている、というトピックが話題になった。

『あの子もトランスジェンダーになった』のなかのアニメに関する言及については、すでに以下の記事などでまとめられている。

これを踏まえつつ、トランスフォビアとアニメ批判を結びつける英語圏の言説がどういうものなのか、当該書籍以外の事例をメモしておく。

『あの子もトランスジェンダーになった』における「anime」への言及

本題に入る前に、当該書籍で「anime」がどう語られているかを確認しておこう。原著の索引を見ると、この本のなかで「anime」が2か所で言及されていることが分かる(ちなみにmangaへの言及はなかった)。言及されている段落を引用しておく。

Her mothers were a little unnerved by the extent to which Julie seemed to revere her new friend. After school, Julie would often meet up with Lauren, who introduced her to anime, computer-animated images of anthropomorphized creatures. “I had no idea it was tied into this whole trans culture,” Shirley said to me. Online, Julie began to visit DeviantArt, an art-sharing website with a large transgender following and a lot of gender ideology in its comments section. (p. 9)

自分の子どもが友人経由でアニメにハマってDeviantArt(イラストや写真や小説などを投稿できるサイト)に行きついたんだけど、DeviantArtが「ジェンダーイデオロギー」まみれのサイトだった、みたいな話が書いてある。

The mothers had worked so hard to meet their daughters where they were—to share their fads and enthusiasms, from emo to anime. They embraced their daughters’ announcements of allegiance to atheism, communism, and their epiphanies about being gay. They needed their daughters to be happy and successful—and maybe, looking back, they needed this too much. (p. 88)

子どもがトランスジェンダーになってしまったのは、親が子どものしたいようにさせすぎたせいだろうか、みたいな話が書いてあり、無神論共産主義とならんでアニメが挙げられている。

こうした箇所から、トランスジェンダーになる要因としてアニメが挙げられているらしいとは分かるのだが、この記述だけでは「アニメのせいでトランスジェンダーになる」という主張の詳細はつかみづらい。

「オートガイネフィリア理論」と美少女アニメを紐づける言説

ということでもっと詳細が分かる事例はないか探してみたところ、「抑圧されたシス男性が美少女アニメに触れ、オートガイネフィリアに目覚めることによって、トランス女性になるのだ」という感じの言説があった。この主張に言及しているのが、かの悪名高いレイ・ブランチャードである(ちなみにブランチャードは『あの子もトランスジェンダーになった』原著に推薦文を寄せている)。

言及されている記事は削除されているが、以下のアーカイブから読める。

色々と問題点のある記事で、たとえばジェンダー規範(「女性らしさ/男性らしさ」)の論点とジェンダーアイデンティティの論点を混同し、後者の論点を否定しているという問題が挙げられる(この問題については周司あきら・高井 ゆと里『トランスジェンダー入門』(とくに34頁~39頁)を読んでほしい)。

また、トランス女性をオートガイネフィリアとみなす理論(ブランチャードが提起したものである)は、経験的調査から否定されているのだが、トランスジェンダーの存在を否定する立場の人々がいまだに持ち出してくるものである。オートガイネフィリア理論をめぐる議論の解説として、以下のジュリア・セラーノの記事を挙げておく。この記事では、ブランチャードがアニメに言及しているツイートも取り上げられているため、トランスジェンダー差別とアニメ批判の関係について論じる際にはこの記事を参照するとよいかもしれない。

ちなみに余談だが、ブランチャードはアニメアイコンの人とプロフィールに代名詞を書いている人をブロックしているらしい。

関連記事

【全文公開】フィクトセクシュアルから考えるジェンダー/セクシュアリティの政治【講演原稿】

2023年8月23日に、台湾のイベントで講演をしました。フェミニズムクィアの文脈でフィクトセクシュアルを主題にしたイベントは、おそらく世界初ではないかなと思います。

𝟠/𝟚𝟛 三/水/𝕎𝕖𝕕 【從紙性戀思考性與性別的政治フィクトセクシュアルから考えるジェンダー/セクシュアリティの政治 The Politics of Gender and Sexuality from a Fictosexual Perspective】  ◆ 主講   ◇   松浦優Matsuura Yuu/紙性戀研究者,九州大學博士後期課程 〔**海外連線**〕  ◆ 與談   ◇   廖希文SH Liao/紙性戀研究者,臺大御宅研究讀書會  ◆ 口譯   ◇   小松俊/清華大學社會學研究所碩士班    ◆ 時間   ◇  𝟖/𝟐𝟑 (三/水) 𝐂𝐒𝐓𝟏𝟗:𝟎𝟎-𝟐𝟐:𝟎𝟎 / 𝐉𝐒𝐓𝟐𝟎:𝟎𝟎-𝟐𝟑:𝟎𝟎   ◆ 地點   ◇   ① 女書店  fembooks publishing house & bookstore(台北市大安區新生南路三段56巷7號2樓) ② Google Meet視訊系統

𝟠/𝟚𝟛 三/水/𝕎𝕖𝕕【從紙性戀思考性與性別的政治フィクトセクシュアルから考えるジェンダー/セクシュアリティの政治 The Politics of Gender and Sexuality from a Fictosexual Perspective】 - 最新活動 - 女書店

講演内容としては、フィクトセクシュアルについて、とりわけ私が行ってきた二次元性愛の研究を紹介しつつ、そこからフェミニズムクィアの運動や研究にどのような示唆をもたしうるか、というお話です。また、そもそも「二次元」とは何かという問題や、フィクトセクシュアルの周縁化の事例についても説明しました。

講演の読み上げ原稿の全文(約16000字+文献リスト)と注釈(約7500字)をつけた資料を公開します*1下記のResearchmapから全文PDFをダウンロードできます。やや理論的な話も含まれていますが、私の研究についての(現時点で)もっとも分かりやすい解説になっていると思いますので、ご活用いただければ幸いです。

また、講演資料の繁体中文訳版も後日公開される予定です。

目次は以下のとおりです:

1 はじめに
2 二次元をめぐる欲望や実践
3 二次元性愛の存在を説明するためのクィア理論
4 周縁化の事例
5 対人性愛中心主義を説明するためのクィア理論
6 連帯に向けて

引用例
松浦優,2023,「フィクトセクシュアルから考えるジェンダーセクシュアリティの政治」,公開講座「從紙性戀思考性與性別的政治」日本語版講演資料,https://researchmap.jp/mtwrmtwr/presentations/42871322

*1:当初は発表形式を勘違いしていて、4万字弱の原稿を書いていましたが、超過分は削ったり注に押し込んだりしました。

使っているSNSアカウント一覧

Twitter: @wrmtw (https://twitter.com/wrmtw)

使用歴が一番長いです。

Facebook: https://www.facebook.com/y.wrmt

あまり更新していませんが、たまに告知などをしています。

Mastodon: @wrmtw@mstdn.jp (https://mstdn.jp/@wrmtw)

作りたて。様子を見ながら使い方を考えようと思います。

【論文掲載】対物性愛研究の紹介および非対人性愛研究の方向性についての予備的考察

学内の紀要に論文を寄稿しました。

フェミニズムクィアの観点での対物性愛研究をいくつか紹介したうえで、私のこれまでの研究と関連づけながら、非対人性愛について議論する際の方向性を検討する論文です。

二次元キャラクターをめぐる議論のほか、ロボットやAIとの性愛にも関わる内容だと思います。査読なしの紀要論文で、雑多な中間考察ですが、参考程度にご笑覧いただければ幸いです。

校正段階のPDFを下記リンク先で公開しています。正式に刊行された際にはあらためて告知します。

関連記事

二次元美少女の性的表現を「女性(や子ども)の性的モノ化」と非難することの何が問題なのか

したがってここでの課題は、あらゆる新しい可能性を可能性として愛でることではなく、すでに文化の領域のなかに存在しているけれども、文化的に理解不能とか、存在不能とされていた可能性を、記述しなおしていくことである。(ジュディス・バトラージェンダー・トラブル』*1

はじめに

二次元の女性キャラクターを性的に描いた創作物(「萌え絵」と呼ばれることもある)は、しばしば女性(や子ども)を性的モノ化するものとして非難される*2。しかしこのような非難は、「二次元(キャラクター)」と「三次元(人間)」との存在論的差異をあらかじめ無意味なものと決めつけており、人間に対するセクシュアリティ(=対人性愛)とは異なる「二次元に対する非対人性愛」の存在を抹消してしまっている*3。さらにそこには、フェミニズムクィアスタディーズの観点からもいくつかの問題がある。本稿ではこのことを素描していく*4

目次

背景:「二次元キャラクター」の存在論と非対人性愛

二次元キャラクターの特徴については、これまで表現論の問題として論じられてきた(たとえばデフォルメのような非写実的な絵柄など)。しかし表現論の枠組みで議論していたせいで、二次元キャラクターは「単に特殊な表現様式を用いて描かれているだけで、人間の表象ではないか」という疑問に十分な応答をできていなかった。

しかし二次元キャラクターは、単に特殊な表現様式で描かれるだけではなく、まさに人間とは異なるカテゴリーの存在者である*5。具体的には、二次元キャラクターは、情報の束として存在し、絵や音声や映像など多様なメディウムによって物質化される、ある種の人工物である*6

このことは、二次元の存在者に対する性的欲望が、人間への欲望に還元できないということ*7と関わる。この点については、すでに論文やブログで繰り返し説明してきたため、過去のブログでの要約を載せておく。

繰り返し指摘されてきたことだが、二次元キャラクターへの性的欲望は、人間に対する性的欲望に還元できないものである。

たとえば筆者は、「二次元の性的表現を愛好しつつ、生身の人間へ性的魅力を感じない」という人々にインタビュー調査を行なっているが、そうした人々のなかには、自分のセクシュアリティを「フィクトセクシュアル」や「キャラクター性愛者」と表明している人もいる*8。また「二次元キャラでないとダメ」という人でなくとも、二次元表現に対する性的な好みと人間に対する性的な好みが独立分離しているという人は少なくないだろう*9

さらに近年では、フィクトセクシュアルをめぐるウェブ上での議論をとおして、生身の人間に性的(あるいは恋愛的)に惹かれるセクシュアリティ指す造語として、「対人性愛」という概念が用いられている*10。これは性的マジョリティを名指す概念であり、対人性愛を自明のものとする社会通念(対人性愛中心主義)を問い直す造語実践である。これを踏まえて、対人性愛に還元できないような二次元キャラクターへの性的欲望を、「非対人性愛的な二次元へのセクシュアリティ*11と呼ぶことにしよう。

対人性愛中心主義とシスジェンダー中心主義の共通点:「萌え絵広告問題」と「トランスジェンダーのトイレ使用問題」から - 境界線の虹鱒 より

二次元に対する非対人性愛を生きる人々が現に存在する、ということをあらためて強調しておきたい。

「性的モノ化」論の確認:ティモ・ユッテンに依拠して

もうひとつ本題に入る前の作業として、性的モノ化の意味について手短に確認しておきたい。

本稿は学術論文ではないため、性的モノ化論の体系的な検討は行わない。その代わりに本稿ではユッテンの論文「性的モノ化」(木下頌子訳)に依拠して議論を進める(その他の論文については必要に応じて注で触れるため、専門的な議論に関心がある場合は注も見てほしい)。筆者の考えでは、ユッテンの論文は「性的モノ化」論で何が問題とされているのかを精緻に明確化している点で優れた論文である(上記の『分析フェミニズム基本論文集』に翻訳が掲載されているので、ぜひ読んでほしい)。ユッテンの立場は、ヌスバウムによるモノ化の「道具扱い説」を批判し、マッキノンの発想にもとづく「意味の押しつけ説」を擁護するものである。

ヌスバウムの主張は、モノ化は「本質的にある種の道具扱い(instrumentalization)または利用(use)」だという「道具扱い説」である*12。この説では、モノ化は道徳的に中立的なものであり、無害で倫理的に許容可能な道具扱いもありうる。

これに対して「意味の押しつけ説」は、「性的にモノ化されるということは、自分が性的に利用されるべき人として定義されるような社会的意味を、自分の存在に対して押しつけられること」である*13。この定義のほうが、フェミニズムからの問題提起をうまく概念化しており、また性的モノ化の害と不正を切り出すために使える概念となっているように思われる。

「性的モノ化」論を二次元にそのまま適用することの問題点

以上を踏まえたうえで、では性的モノ化論を二次元表現にそのまま当てはめるとどのような問題が生じるのか。一言で言えば、非対人性愛の抹消である。とはいえ抹消の内実にはいくつかの種類があるため、ここでは4点に分けて論じていく。

1. 人間中心的な「モノ」観

1点目の問題は、性的モノ化論の前提にある「モノ」観が人間中心的であることである。この問題は、二次元をめぐる議論にかぎったものではなく、さらに言えば「性的」モノ化にかぎったものでもない。「モノ」であるとはどういうことか、ユッテンは以下のように述べる。

人が対象[モノ]であるということは、他人の目に映るその人の意味や価値が、他人の関心と価値づけによって決定されているということである。これはちょうど、私たちの身の周りにある多くの対象の意味や価値が、人々の関心や価値づけによって決まるのと同様だ。*14

ここでユッテンは、モノは完全に受動的であり、モノの意味や価値は人間によって一方的に規定されると説明している。

しかし、モノはそんなに人間の思いどおりになるものだろうか。たとえばモノの形状や材質などの物質性は、人間による意味づけや価値づけのあり方の可能性を制約しており、それゆえ現に人間に対して影響を与えている*15。このように、モノは一方的に意味や価値を押しつけられるだけの存在ではなく、ある意味では人間に「抵抗」する側面すらある。このような論点が、ユッテンの議論ではあらかじめ締め出されているのである*16

このことは、性的モノ化論が「二次元」の物質性を抹消してしまう、という問題につながる。冒頭で触れたように、二次元キャラクターは、人間とは存在論的に異なるカテゴリーに属しており、物質的にも人間と異なる仕方で構成されている。しかし二次元キャラクターの表現を人間のモノ化と同じ仕方で論じると、このような存在論的・物質的な要素のもたらす効果があらかじめ抹消されることになるのである。

さらにユッテンのモノ観は、人とモノの関係をかなり一面的に捉えている。「モノ化」を本質的に悪いものとして概念化している理論では、人間とモノとの水平的・対称的な関係がありうる可能性を暗に締め出してしまっているのである*17

このようなモノ観は、対物性愛*18に対する偏見と直結するものである。対物性愛は事物に対する一方的な「フェティシズム*19として、一種の「異常性欲」だという偏見を向けられることがある*20。これに対して当事者の語りでは、対物性愛者は特定の事物に対して深い愛情や多様な感情を抱くということが強調されている*21。また愛する事物との関係も多様であり、双方向的な親密関係を築いているという人もいる*22。このような人‐モノ関係を、性的モノ化論のモノ観は捉えることができなくなっているのである。

そしてこの問題は、二次元キャラクターとの親密関係についても同様に生じる。近年では二次元キャラクターとの「結婚」や恋愛や親密関係について、フィクトセクシュアルという言葉で言及されることが増えてきた。しかしこうした関係は、しばしば「自分にとって都合のよい『異性』*23を求めているだけだ」とみなされることがある。これはまさに上記の対物性愛者に対する偏見と同じものである*24。「モノ(非‐人間)」は「一方的に人間に支配されるもの」というモノ観が、こうした偏見の根底にあると言えるだろう。

以上のことから、「(性的)意味の押しつけ」を「(性的)モノ化」と呼ぶのは問題含みだと考えられる。ただしこれは性的モノ化論の内容そのものを否定しているのではなく、あくまで「モノ化」というラベルを用いることを批判しているだけである。性的モノ化論が問題とすることがらは、「性的モノ化」ではなく、端的に「性的意味の押しつけ」と呼ぶほうが、論点が分かりやすく、かつ倫理的にも望ましいだろう*25

2. 対人性愛への回収:「社会的に利用できる意味」の制限

2点目は、二次元に対する非対人性愛的な欲望や関係が、対人性愛として認識されてしまう、という問題である。ユッテンによれば、女性を性的モノ化する男性は、女性を「性的な魅力や、性的誘いへの応じやすさといった性的な属性に基づいて定義」*26するのだが、このような定義(意味)を押し付けることについて、ユッテンは以下のように述べている。

押しつけられる社会的意味は(……)それを押しつける者たちの態度や欲求を表象するものである。*27

性的モノ化論がこのような主張を含んでいるとすれば(多くの場合は明に暗に含んでいると思われる)、これを二次元表現にあてはめることの問題は明白だろう。

「二次元の女性キャラクターを性的に魅力的なものとして描く作品(を公開したり愛好したりすること)は、人間の女性に性的意味を押しつけるものだ」とする主張は、「二次元の女性キャラクターを性的に魅力的なものとして描く作品(を公開したり愛好したりすること)は、人間の女性への「態度や欲求を表象」している」という主張を含意することになり、それゆえ二次元キャラクターへの非対人性愛的な態度や欲求の存在を抹消することになる。

言い換えれば、二次元をめぐるセクシュアリティを対人性愛へと回収することによって、「二次元キャラクターへの欲望は単なる対人性愛なのだ」という発想に暗にコミットしてしまうのである*28

つまり性的モノ化論を二次元表現にそのまま当てはめる非難は、「二次元に対する非対人性愛など存在しない」というメッセージとなってしまうのである。ユッテンの言葉を借りれば、このような非難は対人性愛的な意味の押しつけであり、非対人性愛者が「自己提示するために社会的に利用できる意味」*29を制限する発話となると言える。

3. 攪乱可能性の抹消:性的意味づけの「反映」と「再生産」のズレ

3点目は、二次元と三次元とのズレがもたらす政治的意義の可能性を認識し損ねる、という問題である。この問題は、性差別や性的意味づけの「反映」と「再生産」が区別されずに論じられがちである、という状況と関わるものである。

二次元の性的表現は、現実での女性観が「反映」されているという理由で非難されることがある。たしかに二次元表現に(過去もしくは現在の)現実での性差別的な女性観が(多かれ少なかれ)反映されているのは事実だろう。しかし常識的に考えて、ある事物に現実での性差別的な女性観が反映されているということ自体は、非難の理由にはならない*30。あくまで問題なのは、それが性差別的な女性観(およびそのような女性観にもとづく「性的モノ化の実践」)を再生産する場合である*31

しかし二次元をめぐる非対人性愛が存在するということは、二次元の性的表現には「人間の女性を性的対象化する意味づけ」を再生産しない経路が現に存在する、ということを示している。すなわち、二次元の性的表現は、対人性愛の文化のなかから生じ、対人性愛のあり方を何らかの仕方で反映していながら、にもかかわらず対人性愛とは異なるセクシュアリティのあり方を生じさせているのである*32。言い換えれば、二次元の性的表現には「以前には存在しなかったカテゴリーの存在物を(……)構築することを通して、知覚の仕方や欲望のあり方を変容させる」*33という攪乱の契機が存在するのである。

この攪乱は、性的モノ化の再生産を批判する契機でもある。人間の女性が性的モノ化されるというのは、人間を性的に欲望するという対人性愛文化の問題ではないのか? もし二次元の性的表現が「人間の女性を性的対象化する意味づけ」を再生産するのだとすれば、それは対人性愛が規範的なセクシュアリティとされているからではないのか?  対人性愛中心主義的な認識が支配的な社会では、このような問題提起が想定されることはなかった。二次元をめぐる非対人性愛が切り開くのは、まさにこのような批判である*34。にもかかわらず、「反映」と「再生産」とを混同する議論は、このような政治的主張を存在しないことにしてしまうものなのである。

4. 対人性愛中心主義と問題含みなジェンダー本質主義の温存

最後の問題は、ジェンダーセクシュアリティに関する構造的な問題を見落としてしまうというものである。

性的モノ化の理論は、基本的に実写ポルノを念頭に置いたものである*35。主流的な実写ポルノであれば、人間の女性が欲望の対象として描かれており、そこからの性的モノ化論の問題提起そのものは妥当かつ有意義なものである。

しかしこれを二次元表現にそのまま適用した場合、「人間の女性」も「二次元の女性キャラクター」も同じ「女性」なのだ、という発想が無批判に持ち込まれることになる。言い換えれば、「男/女」の差異は「二次元/三次元」の差異よりも根底的なものである、という想定が持ち込まれるのである*36。このことは、セクシュアリティの問題よりもジェンダーの問題のほうがより根底的なものなのだ、という問題の序列化を含意してしまうものである。

このような認識は、性的マイノリティの存在をあらかじめ排除したり抹消したりするものとして、以前から批判されてきた*37。二次元をめぐる非対人性愛の抹消という本記事の問題提起も、この文脈に位置づけられる。

さらにこの認識は、ジェンダーセクシュアリティの関係を捉え損ねてしまうものでもある。すでに繰り返し指摘されているように、セクシュアリティの規範とジェンダーの規範はいずれか一方に還元できるものではなく、あくまで両者を区別したうえで、両者の相互関係を考える必要がある*38

ここで重要なのが、ジェンダーに関する生物学的本質主義と対人(異)性愛中心主義との共犯関係である。「解剖学的な性別」と「性交渉」がどちらもsexである、という図式が象徴的に示しているように、支配的な解釈図式のもとでは「性器の差異を重視する「幻想」が、異なる性器同士の接触を重視する「幻想」と一体化している」*39。この意味で、性愛が生身の人間の「身体」に本質的に結びついているという想定(言い換えればセクシュアリティは根本的には対人性愛の話なのだという想定*40)は、問題含みなジェンダー本質主義を支えるものなのである。

要するに、二次元と三次元の差異をあらかじめ無意味なものと決めつける議論は、このようなジェンダーセクシュアリティの関係を見落としているのである*41。このことは、非対人性愛の政治性を抹消するという、3点目に上げた問題とも結びついているものである。

ささやかな提言:「萌え絵問題」から「対人性愛問題」へ

以上のことから、性的モノ化批判を二次元表現にそのまま適用することは、二次元をめぐる非対人性愛の存在を抹消し、対人性愛中心主義(と問題含みなジェンダー本質主義)を温存することになる、と言える。これを踏まえたうえで、では二次元の性的表現についてどう扱い、どう論じていけばよいのか。

ここで重要なのが、本記事で述べた以下の指摘である。

人間の女性が性的モノ化されるというのは、人間を性的に欲望するという対人性愛文化の問題ではないのか? もし二次元の性的表現が「人間の女性を性的対象化する意味づけ」を再生産するのだとすれば、それは対人性愛が規範的なセクシュアリティとされているからではないのか?(本記事「3. 攪乱可能性の抹消:性的意味づけの「反映」と「再生産」のズレ」より)

つまり、対人性愛中心主義的な社会においては、二次元の女性キャラクターを性的に魅力的に描いた表現が、人間の女性に性的意味を押しつけることがありうるのである。そして非対人性愛者もまた同じ社会のなかで生きている以上、こうした問題にはマジョリティとともに解決へと努めるべきである。

性的意味の押しつけによる問題が生じないための方策を議論し実施することは依然として必要であり、具体的な方策としては、たとえばある種のゾーニングなどが考えられるだろう。つまり本稿の内容は、二次元表現をめぐる従来の議論の方向性を大きく変えるものではない。

しかしながら、二次元に対する非対人性愛が社会的に不可視化されているということ、そして問題は対人性愛中心主義的な社会にあるのだということを、忘れてはならない。本来ならば変わるべきは対人性愛文化であり、二次元表現に責任転嫁をするべきではないのである。あくまでも、対人性愛があまりにも自明のものとされている状況で、対人性愛中心主義があまりにも強固であるために、やむをえず二次元表現に(本来ならば対人性愛文化が担うべき負担を引き受けてもらって)譲歩してもらうのだ、ということが明示されなければならない。

そのために、二次元表現による女性への性的意味の押しつけに対する方策を議論・実施する際には、二次元の女性(や未成年)キャラクターを性的に魅力的に描く創作物は、それ自体として悪いものではない、ということを必ず明記・明言すべきである*42。言い換えれば、法規制をしないだけでなく、基底的な倫理的承認をすべきだということである。

それ自体として悪いものではないとしても、もし結果的に望ましくない状況をもたらすのであれば、何らかの仕方で主流文化(対人性愛文化)とともに折り合いをつけていく必要はあるだろう。逆に言えば、本稿が従来の議論に付け加える実践的な指摘は、せいぜいこの程度のものだということでもある。

ところで、この提言に対して次のような疑問をいだく人がいるかもしれない。

「この提言は、対人性愛中心主義を根底的な問題とみなし、性差別をそれに付随する問題として扱うものではないのか。かりに前項までの議論が妥当だとしても、せいぜい対人性愛中心主義の問題 "でも" あるとしか言えないのではないか」

この指摘は、脱文脈的な一般論としては正しいかもしれない。しかしながら、私たちの社会は現に対人性愛中心主義的な認識がきわめて強固に存在する社会である。そしてそこでは、対人性愛問題があるのだとわざわざ明言しないかぎり、対人性愛を前提として議論がおこなわれてしまう状況がある。つまり非対人性愛は、わざわざ存在を口にしないかぎり、いないことにされるのである。このような文脈を無視した一般論は、むしろ対人性愛中心主義に加担することにしかならない。

だからこそ、まずは「対人性愛問題」というフレームから議論を始めるべきである。これによって初めて、非対人性愛を生きる人々が非対人性愛者として政治的言説のなかに存在できるようになるだろう。*43

関連記事

本稿では、ジェンダーセクシュアリティの関係をきちんと考えるべきだと論じてきた。この点については過去の記事で、対人性愛中心主義がトランスフォビアと結びついていることを論じている*44。また二次元をめぐる非対人性愛がフェミニズムクィアのポリティクスと連帯可能であることにも言及している。本記事とあわせて読んでほしい。

2023年6月19日追記:繁体中文訳が公開されました。

注釈

*1:260ページ

*2:たとえば最近のものとして以下の文献が挙げられる。
李美淑,2023,「炎上する「萌えキャラ」/「美少女キャラ」を考える」李美淑・小島慶子/・治部れんげ・白河桃子・田中東子・浜田敦子・林香里・山本恵子,『いいね!ボタンを押す前に――ジェンダーから見るネット空間とメディア』亜紀書房,94-125.

*3:本稿の主張は、仮に性的モノ化批判が「三次元」の領域で妥当だとしても、その批判を二次元表現に当てはめるべきではない、というものである。そのため本稿では、「三次元」の領域で性的モノ化批判が妥当かどうかは検討しない。

*4:本稿の内容は、某論集に寄稿予定の原稿の素案である。論集寄稿版では先行研究の検討や論述の精緻化を加筆修正するが、基本的な主張は本稿と同じものになる予定である。

*5:これについては下記の拙論2本を参照:松浦 優 (Yuu Matsuura) - アニメーション的な誤配としての多重見当識――非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察 - 論文 - researchmap

*6:「二次元」を厳密に定義づけるためには「ある種の」の中身を明確化する必要があるが、それを論じるためには論文1本分の理論的考察が必要である。「二次元とは何か」についての理論的考察は稿を改めて論じたい。

*7:このことは、「二次元の女性キャラクターを性的にモノ化する表現」を愛好する女性がいる、ということを理解するうえでも重要である。先行研究で指摘されているように、男性向けポルノコミックを読む女性読者は「男性向けポルノコミックは男性が描く“疑似女性”であるから、自分とは切り離された別のものとして見ることができるので、ファンタジーとして受け止めやすい」という読みをしている場合がある(守如子『女はポルノを読む』 192ページ 強調引用者)。

*8:以下の論文で調査結果の一部を分析している。

*9:斎藤環戦闘美少女の精神分析』の「多重見当識」概念がこのことを表すものである。

*10:以下の拙論を参照

*11:ここには「生身の人間へ性的魅力を感じない」人だけでなく、先に触れた「二次元表現に対する性的な好みと人間に対する性的な好みが独立分離している」人も含まれる。

*12:ユッテン,121ページ

*13:ユッテン,121ページ

*14:ユッテン,139-140ページ

*15:たとえばこの論点には、メディア論における、メディウムの特性がもたらす影響や効果の議論も含まれるだろう。

*16:性的モノ化論はモノを「静的モノ化」している、と言ってもよいかもしれない

*17:この批判は、Mel Y. Chen, 2012, Animacies: Biopolitics, Racial Mattering, and Queer Affect, Duke University Press. のp.50を参照

*18:本稿での対物性愛に関する説明は、以下の拙論(で紹介した先行研究)に依拠している。松浦優,2023[近刊],「対人性愛中心主義批判の射程に関する検討――フェミニズム・クィアスタディーズにおける対物性愛研究を踏まえて 」『人間科学共生社会学』 (13)

*19:フェティシズムへの偏見という問題も無視してはならない。

*20:対物性愛への偏見は異性愛規範とも結びついている。たとえば女性の対物性愛者は、人間に対してなすがままである(かのように見える)物に対して積極的に性愛関係を宣言する点で、男性からのアプローチを受動的に待つという女性像と対立するものとされる。また対物性愛に対するスティグマ化の事例として、ドキュメンタリー番組のなかで、女性の対物性愛者は「公共の場で物とセックスする」人物として否定的に描かれたという出来事がある。(Terry, Jennifer. 2010. “Loving Objects.” Trans-Humanities Journal 2(1):33-75.

*21:広い意味での「物への愛着」であれば多くの人が経験するだろう。対物性愛者の愛はそうした愛着と連続的なものだとしばしば言われている。

*22:対物性愛コミュニティのウェブページとしては下記のサイトがある。とくに「OSとは」のページが参考になる(ただし日本語版は不完全なページもあるため、必要に応じて英語版も参照)。

*23:メディアで取り上げられる事例はほとんどが「異性」のキャラクターとの関係であるため、偏見のほうにもこのような表現が現れることになる。ただし当然ながら、非異性愛のフィクトセクシュアルもいる。

*24:余談だが、もし二次元キャラクターが人間の意のままに動くようなものならば、「キャラ崩壊」や「解釈違い」などは起こりえないのではないだろうか。

*25:あるいはモノ化の代わりに「半端モノ」(subperson)化と呼ぶのもよいかもしれない。半端モノ概念は、キャサリンジェンキンスがチャールズ・ミルズから借用したものである(Jenkins, Katharine, 2017, What Women are For" in Beyond Speech: Pornography and Analytic Feminist Philosophy, Mikkola ed.)。ジェンキンスの主張については難波優輝による日本語での紹介がある。

*26:ユッテン,139ページ

*27:ユッテン,134ページ

*28:このような「マジョリティへの回収による抹消」については、フィクトセクシュアルをめぐるウェブ投稿の分析をもとに下記の拙論で論じている。

*29:ユッテン,131ページ

*30:たとえば現実での性差別があるかどうかを調べたアンケート調査の結果は、現実での性差別を反映しているが、だからといってその調査が非難されるいわれはない。

*31:「反映」しているから悪い、と言われがちなことの背景として、二次元の性的表現が対人性愛の単なる「コピー」だとみなされていることが考えられる。これは「模倣」というものに関する理解の問題でもあるが、この点についての詳細は別稿で論じたい。

*32:下記の拙論の148ページを参照。松浦 優 (Yuu Matsuura) - アニメーション的な誤配としての多重見当識――非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察 - 論文 - researchmap

*33:下記の拙論の68ページ

*34:これは単なる可能性ではなく、実際にフィクトセクシュアルをめぐるウェブ投稿のなかで、いわゆる「レイプカルチャー」を「対人性愛文化」の問題として捉える視座が提起されている。

*35:ユッテンの議論もマッキノンの主張に根差したものである。

*36:この想定の問題については、以下の拙論で論じている。松浦 優 (Yuu Matsuura) - アニメーション的な誤配としての多重見当識――非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察 - 論文 - researchmap

*37:たとえばバトラー『ジェンダー・トラブル』47ページ

*38:たとえばセジウィック『クローゼットの認識論』序論やバトラー『問題=物質となる身体』第8章

*39:下記の拙論の125ページより。松浦 優 (Yuu Matsuura) - メランコリー的ジェンダーと強制的性愛――アセクシュアルの『抹消』に関する理論的考察 - 論文 - researchmapジェンダーの生物学的本質主義と対人(異)性愛中心主義の結びつきは、バトラー『ジェンダー・トラブル』の「〈字義どおり化〉という幻想」論から読み解けるが、この点については下記の拙論でも論じている。松浦 優 (Yuu Matsuura) - アニメーション的な誤配としての多重見当識――非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察 - 論文 - researchmap

*40:下記の拙論で、「性的指向」と「性的嗜好」の区別が対人性愛中心主義や強制的性愛、恋愛伴侶規範と結びついている可能性を指摘している。

*41:一言で言えばファロゴセントリズムを暗に温存しているということである。

*42:たとえば自治体などの公的機関が広告表現等のガイドラインを作成する際には、このことを明文化しておく必要がある、

*43:2023年3月8日追記:注3を追加、「性的モノ化論の確認」の節を一部修正。2023年3月15日追記:注44を追加。2023年5月25日追記:「ささやかな提言」の節を一部加筆。

*44:余談だが、注2で触れた論考(李美淑,2023,「炎上する「萌えキャラ」/「美少女キャラ」を考える」)における「女性を客体化するイメージ」の整理で参照されているキャスリーン・ストック(Kathleen Stock)は、トランスジェンダー差別的な主張で有名な人物である。ストックに関する詳しい情報は以下を参照。
https://www.facebook.com/nayuta.miki/posts/4189162281141725