境界線の虹鱒

研究ノート、告知、その他

Aセクも多様です――Aセクシュアルの自慰と性的空想に関する近年の研究動向(後編)

 お待たせしました。以前の論文紹介の続きです。(元論文へのリンクは前回の記事にあります)

【内容報告】

 前回の記事でも述べたとおり、Aセクシュアルの性的空想とマスターベーションに関する量的調査である。まずは調査結果の概要をまとめておく(今回の論文の知見について、記事終盤に箇条書きで要約しておりますので、忙しい方はご活用ください)

 Aセクシュアルの女性は、セクシュアルの女性やAセクシュアルの男性よりも、最低でも毎月マスターベーションをしているという人の割合が有意に少なかった。またAセクシュアルの女性は、性的悦びや楽しみのためにマスターベーションをしていると答えた人の割合が、セクシュアルの人よりも低かった。

 Aセクシュアルの男性は、性的悦びや楽しみのためにマスターベーションをしていると答えた人の割合が、セクシュアルの男性よりも少なかった。

 Aセクシュアルの男女は、一度も性的空想を抱いたことはないと答えた人の割合がセクシュアルの男女よりも有意に高かった。

 性的空想を抱いたことのある人のうち、Aセクシュアルの男女が「私の空想には他人を伴わない」という応答を支持した割合は、セクシュアルの人々と比べて明確に高かった。

 Aセクシュアルの女性は、性的空想を抱いたことがないと答えた割合が、Aセクシュアルの男性よりも明確に高かった。またAセクシュアルの女性は、虚構的キャラクターを伴う性的空想を報告する傾向が有意に高かった。

  注目すべきは、今回の研究においてAセクシュアルのうち相当な割合が、性的空想をすると回答しており(Aセクシュアル女性の65%と、Aセクシュアル男性の80%)、また多くのAセクシュアルが、セクシュアル・アトラクション(性的に惹かれる感覚)がないと報告しているにもかかわらず、性的空想とマスターベーションをしていた(Aセクシュアル女性の51%と、Aセクシュアル男性の75%)という点である。さらにAセクシュアルの回答者の性的空想は、セクシュアルの回答者の性的空想と多くの重複があった。そこにはBDSM、フェティシュ、同意のない性的空想といったテーマが含まれていた。

  Aセクシュアルの回答者は、グループセックスやパブリックセックスや不倫といったトピックを空想する傾向が低かった。しかしBDSM、脚フェチや肥満フェチや妊婦フェチや丸呑みフェチなどのようなフェティシュに関するトピックについては、Aセクシュアルの回答者もセクシュアルの回答者も同様の傾向を示した。

マスターベーションについて

 Aセクシュアルの男女は、セクシュアルの男女よりも、マスターベーションの理由として性的快感を挙げる人が有意に少なかった。また、Aセクシュアルの女性は「楽しみのために」マスターベーションをすると回答した割合が少なかった。むしろAセクシュアルの女性たちは、マスターベーションの理由として「しなければならないように感じる("I feel that I have to [engage in masturbation]")」と回答する傾向が高く、「緊張を和らげる」と回答する割合が低い傾向にあった。Aセクシュアルの男性は、マスターベーションの理由として「その他」(たとえば、眠るため、退屈をまぎらわすため、など)と回答する割合が有意に高かった。

 こうした結果から、Aセクシュアルにとってマスターベーションの第一の動機は非性的なものである、という先行研究の仮説が補強される。ここではBogaertの提唱する「無向的マスターベーション(non-directed masturbation)」という概念に言及している。これは「性的欲望やマスターベーションへの衝動はあるが、その欲望は特定の人やものなどを対象としていない」という現象を表す言葉である。

 以上のように、マスターベーションの理由としてAセクシュアルが挙げた回答は多様である。このことは、Aセクシュアルにも多様性があるということの証拠と言えるだろう。

●性的空想について

 今回の調査では、Aセクシュアル女性のうち35%、Aセクシュアル男性のうち20%が性的空想をいだいたことがないと回答した。セクシュアルのうちでこのように回答した人はごく少数だった。先行研究のとおり、性的空想は誰もが抱くものではない、と言える。

 興味深いことに、性的空想をいだいたことがないというAセクシュアルの人は、性的空想をいだいたことのあるAセクシュアルと比べて、AIS(Asexuality Identification Scale:アンケートを用いて、回答者がAセクシュアルであるかどうかを判定する尺度)でよりAセクシュアル度が高いと判定された。このことは、Aセクシュアリティは連続的な存在であることを示唆している。性的空想やマスターベーションをめぐって、Aセクシュアル内にも多様性があるということを考慮する必要があるだろう。

・他の人間を対象としない性的空想

 今回の調査では、Aセクシュアル女性の14%とAセクシュアル男性の12%が「他者を伴わない性的空想をする」と回答した。セクシュアルの女性でこの回答をした割合は1%で、セクシュアルの男性では一人もいなかった。この結果から、Aセクシュアルの一部は「非他者的性欲(analloeroticism)」であると言える。非他者的性欲とは、もともとオートガイネフィリアの研究から出てきた概念で、「男女いずれの相手であれ、他人を性欲の対象にしないようなセクシュリティ」を指す言葉である。最近ではAセクシュアル自認の人々が、同義語として「リビドイスト(libidoist)」という語句を使うこともあるらしい。今後の研究では、Aセクシュアルの下位類型として非他者的性欲などが存在する、という可能性を視野に入れた調査が求められる

・虚構的キャラクターを対象とする性的空想

 Aセクシュアル女性では、実在する他人について空想すると答えた割合より、虚構の人間キャラクターについて空想すると答えた割合の方が有意に高かった。実際、一部のAセクシュアル自認の人々は「虚構性愛(fictosexualあるいはfictoromantic)」を自認している*1。ただし今回の調査では、人間ではない生物や風景画像やフェティッシュに関する空想をする割合については、Aセクシュアルとセクシュアルの間に有意な差は見られなかった。

 今回の調査ではマンガやアニメのキャラクターを性的対象とするセクシュアリティ(俗にSchediaphiliaあるいはtoonophiliaと呼ばれる)については焦点を当ててこなかったが、今後の研究では、実在する人間、人間以外のもの、そしてアニメなどの虚構的キャラクターを性的対象とする人々について、それぞれの違いを解明することが重要な課題となるだろう

・恋愛の空想

 Aセクシュアル女性はセクシュアル女性よりも、情緒や恋愛感情、非性的であったり、抱擁のような親密性であったりというような空想をしていると語る傾向が高かった。恋愛の空想と性的空想は厳密には区別する必要があるため、この結果から性的空想について直接的に結論を出すことはできない。それでも、「性的」空想についての質問に対してこのような恋愛の空想を語ったということは興味深い。もしかするとAセクシュアルの女性はこのような空想を性的なものとして経験しているのかもしれないからである。また、このことからAセクシュアルにとっては、「性的指向」概念よりも「恋愛的指向」概念の方が有用である場合があると言えるかもしれない*2

 今後の研究では、Aセクシュアルにおいて、恋愛的指向の違いが性的空想の経験に影響を与えるかどうか、またこの違いがセクシュアル・アトラクション(性的な惹きつけられ)やロマンティック・アトラクション(恋愛的な惹きつけられ)の発達の特徴を理解するうえでどう関係してくるか、といったことに注目する必要がある。

・自分自身の登場しない性的空想

 そしてAセクシュアルの回答者とセクシュアルの回答者との間で最も大きな違いは、自分自身を伴う性的空想についてである。先行研究では「自己非関与的セクシュアリティ(autochorissexualityあるいはidentity-less sexuality)」という概念が提唱されていた。これは「当人の自己意識と性的対象とを切り離すこと」と定義されている。

自己非関与的セクシュアリティの人は、彼らが見たり空想したりするような性的行動から彼ら自身を分離しており、それによって、彼らの自己意識とマスターベーションと性的空想とを切り離すことを可能にしている。

  Aセクシュアルの一部は自己非関与的セクシュアリティの特徴を持っていると考えられる。このことについては、いくつかの解釈ができる。一つは、Aセクシュアルの人々は露骨な性的刺激を、自身の性的興奮やその先にあるオーガズムへの乗り物として使っているという解釈がある。一方で別の解釈として、Aセクシュアルの人々は他人や他の物に関する性的空想するにもかかわらず、主体的な・・・・セクシュアル・アトラクションを経験していない、というとらえ方もできる*3。後者の解釈からは、次のような発想にもつながる。主体的なセクシュアル・アトラクションが、性的指向についての別の次元を表現するものであるかもしれない、という可能性である。つまり、「主体的指向/非主体的指向」を両極とする、「異性愛/同性愛」とは異なる軸があるかもしれないという仮説が考えられるのである。

・性的空想の内容についての補足 

 最後に性的空想の種類について。Aセクシュアル女性はグループ・セックスやパブリック・セックスのような、他者とのセックス(interpersonal sex)に焦点を当てた空想をする傾向が低い。逆にBDSMや羞恥プレイのような、性器への焦点化が弱い空想をする傾向があった。またAセクシュアル女性は、ただ自分自身のみを伴うような空想(たとえば、マスターベーションや性玩具を使うなど)や、直接的な他者との相互作用のない空想(たとえばのぞき見など)をする傾向があった。また、交際中のAセクシュアル女性は、交際中のセクシュアル女性と比べて、婚外セックスを空想する傾向が低かった。

 ●非定型的な性的関心について

 非定型的な性的関心(Paraphilic interest)とは、物、人、あるいは行為などについての、一般的ではない性的関心のことを指す。これに対して性嗜好障害(paraphilic disorder)とは、非定型的な性嗜好によって当人が苦痛を感じている場合のみを指す。これはDSM-5*4の定義であり、現在では、単に社会で一般的ではないという理由だけでは「障害」とは呼ばないことになっている。

  この区別を踏まえたうえで、Aセクシュアルのうちの大多数は、2つの理由から、非定型的な性嗜好(paraphilia)を持っていない傾向にあると考えられる。まず、非定型的な性嗜好を持つAセクシュアルの人であっても他者への性的関心をある程度は保っている。そしてAセクシュアルの多数派は女性であり、非定型的な性嗜好は女性には少ないということがある。しかしそれにもかかわらず、Aセクシュアルの人々は普通ではない性嗜好を経験したことがあるかもしれないという意見もある。というのも今回の調査からは、Aセクシュアルマスターベーションや性的空想の動機として潜在的に非定型的な性的関心があるかもしれないと考えられるからである。一部のAセクシュアルは(非他者的性欲や自己非関与的セクシュアリティを含めた)非定型的な性的関心を持っているかもしれない。ただし、この点については今後の調査が必要である。付け加えれば、いわゆる「非定型的」と呼ばれる性嗜好が、実は従来考えられていたよりも一般的なものであるという可能性もある。つまりAセクシュアルについても、彼らが「非定型的な」性的関心を持っていること自体が実は「定型的」であるという可能性もある。この点も含めた調査が、今後求められる。

●調査の限界

 今回の調査では、Aセクシュアル男性のサンプル数が少なく、彼らについては充分な調査ができなかった。またAVENのウェブサイトから調査対象者を集めたため、代表性にも疑問が残る。また今回は、どれぐらいの頻度でどのタイプの性的空想をするのか、ということについて調査しなかった。

【まとめ】

 紹介と言いつつ、論文終盤を長々と訳してしまった感があるため、ここで手短にまとめておこう。

・一口に「Aセクシュアル」といっても、その内部には多様性がある。
マスターベーションの動機も多様であるが、Aセクシュアルの人々のマスターベーションは非性的な動機による傾向が強い
・「セクシュアル/Aセクシュアル」というように単純に二分できるわけではなく、Aセクシュアルである度合によってグラデーションがある可能性がある
Aセクシュアルのなかには他人を性的対象としない「非他者的性欲(analloeroticism)」の人もいるようである。
Aセクシュアルのなかには「虚構性愛(fictosexualあるいはfictoromantic)」を自認する人もいるようである。
Aセクシュアルの人々が恋愛的な空想をどのようなものとして経験しているか、調査が必要である。
Aセクシュアルのなかには「自己非関与的セクシュアリティ(autochorissexualityあるいはidentity-less sexuality)」である人もいるようである。
・「主体的指向/非主体的指向」という、これまで見落とされてきた指向があるかもしれない。
・まだ分からないことも多いので、今後も研究が必要である。

※なお記事作成者は英語素人なので、誤訳や誤解等がありましたらご指摘ください。

【関連記事】

*1:具体的な当事者の声として、論文中ではWhat counts as fictosexual? - Asexual Musings and Rantings - Asexual Visibility and Education Networkが挙げられている

*2:このことは以前からも指摘されている。恋愛的指向 - Wikipedia

*3:なお、ここでの「主体的な」とは、「私を」とか「私が」という意識のことを指す。

*4:Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders: アメリカ精神医学会が出版する、精神障害の診断と統計マニュアル