境界線の虹鱒

研究ノート、告知、その他

フィクトセクシュアルについて卒論・修論を書きたい人向け文献案内

フィクトセクシュアルやフィクトロマンティック、あるいは架空のキャラクターとの性愛や恋愛について研究したいという方のために、いくつか文献を紹介したいと思います*1。ひとまずこの辺りの文献を読んでみて、そこで参照されている先行研究を芋づる式に辿っていく、という形でご活用ください*2

フィクトセクシュアルについての研究

まずは一般向けの概説論考を挙げておきます。

松浦 優 (Yuu Matsuura) - フィクトセクシュアルから考えるジェンダー/セクシュアリティの政治 - 講演・口頭発表等 - researchmap

いきなり拙論で恐縮ですが、今のところはこれが一番まとまっているのではないかと思います。講演原稿なので論文よりも読みやすいはずです。文献リストも付いています。

直接的にフィクトセクシュアルを扱っている研究としては、以下のものが挙げられます。

Karhulahti, Veli Matti, and Tanja Välisalo. 2021. “Fictosexuality, Fictoromance, and Fictophilia: A Qualitative Study of Love and Desire for Fictional Characters.” Frontiers in Psychology 11. 

英語圏のウェブ言説を調査した論文です。論文執筆のとっかかりとして使いやすいかなと思います。

松浦優,2021,「日常生活の自明性によるクレイム申し立ての「予めの排除/抹消」――「性的指向」概念に適合しないセクシュアリティの語られ方に注目して」『現代の社会病理』36: 67-83.

日本語圏のSNSにおける「フィクトセクシュアル」の語られ方を調査した論文です。予備的な調査ですが、当事者の語りや、フィクトセクシュアルに対する偏見や周縁化の事例を扱っています。

●松浦優,2021,「二次元の性的表現による「現実性愛」の相対化の可能性――現実の他者へ性的に惹かれない「オタク」「腐女子」の語りを事例として」『新社会学研究 2020年 第5号新曜社

タイトルどおりのインタビュー調査をしています*3

廖希文,2023,「紙性戀處境及其悖論:情動、想像與賦生關係(会議論文)」「動漫遊台灣2023:台灣 ACG 的過去、現在與未來」國際學術研討會,2023年4月29日,台北市,台灣.

台湾大学の院生の廖希文さんが、フィクトセクシュアルについての調査を発表したものです。中国語ですが、機械翻訳でざっと見ても参考になるかもしれません。

調査の注意点

分野によっては、アンケートやインタビューなどの調査を行う人もいるかと思います。調査法については分野ごとに色々あると思いますので、指導教員と相談しながら行ってください。

ただし、性的マイノリティに関わる調査ですので、調査倫理の問題がとりわけ重要になってきます。一般的な調査法の教科書などに加えて、ぜひ以下の資料に目を通しておいてください。

クィア領域における調査研究にまつわる倫理や手続きを考える:フィールドワーク経験にもとづくガイドライン試案

関連領域をおさえておく

フィクトセクシュアルに関してはドンピシャな研究は少ない状況です。とはいえ、フィクトセクシュアルについて直接的に扱っていない研究でも、うまく他の研究と組み合わせれば、有益な示唆を引き出せることもあります。研究内容がドンピシャでなくとも、論文の形式や調査方法、議論に使う語彙や理論など、アイデアや方法論の面で参考になる場合があるはずです。あるいは逆に批判対象として上手く位置づけることもできるかもしれません。いずれしても、関連しそうな領域を広めに勉強しておくのがよいと思います。

一例ですが、恋愛研究、セクシュアリティ研究、オタク論、ファン研究、メディア論、非‐人間との関係に関する研究、フィクション論などの領域が考えられます。入門・概説的な書籍や論考を中心に、参考になりそうなものをいくつか挙げておきます。自分の専門領域に応じて、役立ちそうなものをご活用ください。

恋愛研究

●高橋幸・永田夏来,2021,「討議 これからの恋愛の社会学のために」『現代思想(特集〈恋愛〉の現在)』49 (10): 8-30.

日本の社会学における恋愛研究の流れがよくまとまっています。文献案内としても充実しています。

セクシュアリティ研究

風間孝・ 河口和也・ 守如子・ 赤枝香奈子,2018,『教養のためのセクシュアリティ・スタディーズ』法律文化社.

これを一読しておくと、セクシュアリティ研究の主流的な議論の概要がある程度おさえられると思います。

日本性教育協会編,2019,『「若者の性」白書 第8回青少年の性行動全国調査報告』小学館.

第8回調査では、「ゲームやアニメの登場人物に恋愛感情を持つ」という「経験がある」かどうかを尋ねる設問が追加されています。フィクトセクシュアル/フィクトロマンティックを自認する人の割合ではない点には留意が必要ですが、議論のとっかかりに使えるデータだと思います。

クィア理論

理論や哲学の文献も押さえておくといいでしょう。上で挙げた『教養のためのセクシュアリティ・スタディーズ』にもクィア理論の解説はありますが、下の読書案内で挙げている文献も読んでみるといいと思います。

 

オタク論やファン研究

松浦優,2022,「アニメーション的な誤配としての多重見当識――非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察」『ジェンダー研究』(25): 139-157.

オタク論におけるセクシュアリティの議論については、手前味噌で恐縮ですがこちらの拙論の140~143ページで多少まとめています(決して網羅的ではありませんが……)。批判している先行研究についても、別の側面では読むに値する議論が含まれていますので、ちょっとした文献リストとして参考程度に見ていただければ幸いです。

『ユリイカ2020年9月号 特集=女オタクの現在』

上の「アニメーション」論文で押さえられていない動向として、このあたりもチェックしておいてください。

永田大輔・松永伸太朗編,2020,『アニメの社会学――アニメファンとアニメ制作者たちの文化産業論』ナカニシヤ出版.

ファン研究については、この本のPart 1「アニメファンのさまざまな実践」の各論考がオススメです。社会学的な分析方法を学ぶという意味でも参考になるはずです。

メディア論

ポール・ホドキンソン(土屋武久訳),2016,『メディア文化研究への招待――多声性を読み解く理論と視点』ミネルヴァ書房.

門林岳史・増田展大編,2021,『クリティカル・ワード メディア論――理論と歴史から〈いま〉が学べる』フィルムアート社.

メディアコンテンツという側面も議論に関わってくるかもしれませんので、メディア論にも目配せしておきましょう。概説的な教科書は色々ありますが、個人的なオススメとして2冊挙げておきます。

ちなみに個別のトピックについては、ナカニシヤ出版から出ている「シリーズ:メディアの未来」の目次をざっと眺めてみると参考になると思います。シリーズ全体の冊数は多いですが、ひとつひとつの論考は読みやすくコンパクトにまとまっています。すべて通読する必要はありませんので、出版社のウェブページで目次を眺めながら、気になった論考を読んでみてください。

非‐人間との関係に関する研究(人類学など)

前川啓治・箭内匡ほか,2018,『21世紀の文化人類学――世界の新しい捉え方』新曜社.

人間と非‐人間との関係については、近年の人類学で活発に議論されています*4。この本のとくに第1部が、そうした潮流の概説になっていますので、一読をおすすめします。理論面で参考になるかもしれません。

奥野克巳・石倉敏明編,2018,『Lexicon 現代人類学』以文社.

こちらも現代人類学の入門書です。コンパクトなキーワード集ですので、手に取りやすいと思います。目次を見て気になった項目を読んでみてください。

菊地浩平,2018,『人形メディア学講義』河出書房新社.

『ユリイカ2021年1月号 特集=ぬいぐるみの世界』

人形やぬいぐるみに関する研究も参考になるかもしれません。

関根麻里恵,2018,「ラブドール研究試論」『身体表象:学習院大学身体表象文化学会会誌』(1): 64-72.

松浦優,2023,「対人性愛中心主義批判の射程に関する検討――フェミニズム・クィアスタディーズにおける対物性愛研究を踏まえて」『人間科学共生社会学』12: 21-38.

ウェブ上で無料で読める論文も挙げておきます。それぞれラブドールと対物性愛の研究です。

フィクション論(哲学・美学)

倉田剛,2019,『日常世界を哲学する――存在論からのアプローチ』光文社

そもそも架空のキャラクターとはどのような存在なのか、分析哲学*5での議論が紹介されています。マンガ研究系のキャラ/キャラクター論とあわせて読むと面白いと思います。

源河亨,2021,『感情の哲学入門講義』慶應義塾大学出版会.

私たちがフィクションに対して抱く感情はどういうものなのか、という議論の紹介があります。私たちとフィクション(ないしフィクショナルキャラクター)との関係を考えるうえで示唆を得られるかもしれません。

高橋幸平・久保昭博・日高佳紀編,2022,『小説のフィクショナリティ――理論で読み直す日本の文学』ひつじ書房.

文学研究の論集ですが、第1部でフィクション論一般について議論しているほか、巻末の「読書案内——フィクション論 主要文献」がとても便利です。ちなみに、この本以外にもフィクション論の論集は色々ありますので、図書館などで探してみるといいと思います。

●その他美学

こちらの分析美学の文献リストも参考になるかもしれません。

その他

このほか、主にオタク論やメディア論などの領域では、架空のキャラクターとの恋愛を「疑似」恋愛とみなすタイプの議論があるかと思います。研究をする上では、そうした先行研究も目を通しておくと、(場合によっては批判対象として)役に立つかもしれません。一例として、『デジタルメディアの社会学』のなかの「ゲームはどこまで恋愛できるか」という章を挙げておきます。

ついでに、バーチャルな関係性を現実の恋愛の「代替」や「補完」とみなす研究の例として、山田昌弘「恋愛・結婚の衰退とバーチャル関係の興隆」も挙げておきます。批判的に読むべき側面もあるかと思いますが、先行する調査の事例として参考になるかもしれません。

論文の書き方について

最後に、論文の書き方についての本を紹介しておきます。この手の本は色々ありますが、実用的でオススメなのは以下の2冊です。

戸田山和久,2022,『最新版 論文の教室――レポートから卒論まで』NHK出版

論文ハウツー本といえば、まずはこれ。論理的な文章を書くコツを、基礎から分かりやすく説明しています。卒論以前のレポートのレベルから対応していますので、とくにレポートを書くのが苦手な人は必読です。

上野千鶴子,2018,『情報生産者になる』筑摩書房

戸田山本よりもハイレベルな、卒論や修論(あるいはそれ以降の研究)に役立つノウハウが詰まった新書です。文章執筆術だけでなく、研究計画や理論の使い方、分析、発表など、論文を作るプロセスを体系的に解説してあるほか、いわゆる当事者研究*6のための研究計画に関するアドバイスがあるのも特徴です*7。それなりに高度な内容ですが、とくに大学院進学を考えている方にオススメです*8

関連リンク

注釈

*1:筆者の専門分野の関係上、社会学クィアスタディーズにやや偏っています。

*2:あくまで研究のとっかかりになりそうな文献をいくつかピックアップしたものであり、決して網羅的なものではありませんので、ご了承ください。

*3:ちなみに私の修士論文の一部です。

*4:人類学ではこうした潮流を「存在論的転回」と呼ぶことがあるのですが、そこで言う「存在論」は、後述する哲学における存在論とは別物です。ただし近年では両者を架橋する試みもあるようです。Back by popular demand, ontology: Productive tensions between anthropological and philosophical approaches to ontology 日本語での紹介は難波優輝さんの連続ツイートを参照

*5:大雑把に言うと、西洋哲学にはドイツ・フランス系の「大陸哲学」とイギリス・アメリカ系の「分析哲学」という、スタイルの違う流派があります。

*6:ここでは広く当事者自身が自らの属性や問題について研究することを指しています。

*7:ただ、当事者研究の計画書に関する箇所(p.99-101)で、研究者自身の個人的な動機や立場性を明かさなければならないかのように説明している(ようにも読める)点は、やや注意が必要だと感じます。もちろん個人的な動機は重要でしょうし、立場性を意識するのも必須です。ただ、それをオープンにしなければならないとしてしまうと、とりわけカミングアウトしていないマイノリティに対して暴力的な事態になりかねません。自らの動機や立場性を熟慮することと、それを明かすかどうかは、分けて考えておくのがよいと思います。

*8:余談:上野千鶴子は性的マイノリティに関して問題含みな発言をしてきた人なのですが、とはいえ傑出した研究者ではあり、良くも悪くもパイオニア的存在だと個人的には思っています。『情報生産者になる』も示唆に富む本ですので、上手く活用するのがよいと思います。