境界線の虹鱒

研究ノート、告知、その他

【文献メモ】二次創作のアーカイブに関するフェミニズム・クィア的評価

Rogue Archives: Digital Cultural Memory and Media Fandom
By Abigail De Kosnik
Chapter 3 Queer and Feminist Archival Cultures: The Politics of Preserving Fan Works

アビゲイル・デ・コズニック『ならず者のアーカイブ――デジタル文化の記憶とメディア・ファンダム』第3章「クィアフェミニストアーカイブ文化――ファン作品保護のポリティクス」のまとめである。なお本書全体の概要については上記サイトを確認してほしい。

本文に入る前に、まずはよく出てくる用語について簡単に確認しておく。「ファン・フィクション」とはファンによる二次創作のことである。そのなかでもBL二次創作は「スラッシュ・フィクション」と呼ばれる。アメリカにおけるファン・フィクションの担い手は女性が主流である。ファン・フィクションを集積してアーカイブ化したものが「ファン・フィクション・アーカイブ」である。以下の議論では日本の二次創作文化に近い内容も含まれるが、主にアメリカのファン文化を扱った研究であるため、歴史的・文化的背景が日本と異なるという点に留意して読む必要がある。

本章のテーマ

・ファン・アーカイブがどのように女性ユーザーやクィアユーザーにとって役立っているか
・彼女らのコミュニティのためのアーカイブとしての働きから、どのようにして文化的リソースとしてのファン・アーカイブの価値が生じるか

男性支配的技術に対抗する女性ファンたち(Women Fans against Male-Dominated Tech)

 2000年代半ば以降、技術企業や起業家たちが、ユーザー生成コンテンツ*1と社会的ネットワークに関心を寄せ始めた。一方でソーシャルメディア企業は、どのような種類のコンテンツならばオンライン上で共有してもよいか、ということについて制限を課してくる。これによって、多くのユーザーが警告なしにコンテンツを削除されるという事件が生じてきた *2

 他方で、ソーシャルメディアの起業家はファン・フィクションを収益化しようとして、ファンや作家ではなくサイト所有者が金銭的利益を得るようなサイト構築を目指した 。2000年代半ばから後半にかけて、ファンにとって有益でないような形でファン・フィクションを企業化しようとする試みがさらに現れている*3

 StrikethroughとFanLibののち、著名なファンであるSperanzaたちはファン自ら管理するインターネットインフラが必要であると考え、営利企業に依存しない形でコミュニティの作品を保存する活動を始めた。これをきっかけに、ファン自身がファン・フィクションのアーカイブ活動をするNPO「変形的作品のためのNPO (The Organization for Transformative Works)」が2007年に結成された。OTWは「みんなのアーカイブ(AO3)」*4 を設立し、また親会社の倒産やアーキビストの死去などで危機に瀕したファン作品を保護する「オープンドア」 *5を設立した。

 ファン・フィクション・コミュニティの多数派は女性であり、OTWとそのすべてのプロジェクトは女性プログラマーによって展開された。それゆえAO3は女性プログラマーを育成する機会にもなった。

 すべてのファン製ファン・フィクション・アーカイブは女性のコミュニティ・アーカイブとして機能する、というのがDe Kosnikの主張である。またDe Kosnikによれば、こうしたアーカイブクィアなコミュニティでもある。こうしたアーカイブは、デジタルの短命なコンテンツを失いたくないという動機だけでなく、集団としての感覚を強化するという、ファンダム内の女性やLGBTQを自認する人々のニーズによっても動機づけられている。

発見の瞬間(The Moment of Discovery)

 インターネット上のファン・フィクション・アーカイブを初めて見つけたとき、ファンは強烈で積極的な情動的反応をする。このことがファンたちへのインタビュー調査から浮かび上がってきた。このテーマを「発見の瞬間」と呼ぶ。このとき、独りではなかったのだという感覚や、突如としてコミュニティのメンバーになるような感覚を経験する、と語られている。

 このような効果はアーカイブという形式に特有ではない、という指摘もあるかもしれない。しかしここで言及されたウェブサイトがアーカイブであり、多くの作品が集積しているからこそ、ファンたちの「帰属意識」に特別な貢献をしている。アーカイブによって、ユーザーは当該コミュニティが長い年月にわたって作り出してきた文化的テクストへの理解を深めることができる。言い換えれば、アーカイブはコミュニティの歴史と記憶の担い手なのである。

アーカイブの情動的力(The Emotional Power of Archives)

 社会的・政治的に権力のない人々のテクストやエフェメラ*6を集めて、保存して、そして利用可能にすることを目指すコミュニティ・アーキビストがいる。こうした人々の主要な動機の一つは、周縁化された集団のメンバーであると自認する人々にポジティヴな感覚をかき立てる、というものである。アーカイブの理論家たちは、自らの文書をアーカイブ化された人々や、そのアーカイブを通じて文書にアクセスする人々のなかに生じる感覚の重要性を強調する。

・同じような感情を抱いている人が他にもいる、という感覚
・その人の属するグループの歴史や記憶が保証される、という感覚
・公的な文書やアーカイブから無視されていた場合には、そのグループ自体が自らのドキュメントを尊重している、という感覚

 ファン・フィクションのアーカイブに初めてたどり着いたとき、ファンはファン・フィクションに没頭して多くの作品を一気に読む。これは何故か。一つは、原作に対する全面的コミットメントを楽しむということが考えられる。しかしこれに加えてDe Kosnikは、もう一つの動機を挙げる。そのグループのメンバーになるために、自身が参入する前に作られた二次創作を読むことによって、そのファンダム内で原作がどのように加工されてきたのかという記憶を習得する、という動機である。主流文化のなかにファン・フィクションがアーカイブされていないことから、ファン・フィクション・アーカイブを初めて見つけたファンは、ある意味で飢えを満たすように作品を貪り読むのである。

 またインターネット・アーカイブはAndrew Flinn (2007) の定義するコミュニティ・アーカイブ(コミュニティメンバーの草の根活動によって作られたアーカイブ)に合致する。 

ファンダムにおけるジェンダーセクシュアリティ(Gender and Sexuality in Fandom)

 上記のように、コミュニティ・アーカイブは、制度的なアーカイブから歴史的に排除されていると感じている下位集団によって、その集団のために設立されるものである。これに加えて、ファン・フィクション・アーカイブは、文化の公的アーカイブから放置された集団の文化的記憶を保護するコミュニティ・アーカイブでもある。スラッシュファンフィクションのメンバーは大半が女性であり、それゆえファンのアーカイブは男性支配的なメディア産業から無視されたり軽視されたりしてきた。このことが、女性や少女たちが独自のファン・フィクションを書くことを動機づけている。ファン・フィクションは女性の文化であり、かつ女性の欲望を反映してこなかった主流文化との相互作用でもある。これは以下のアドリエンヌ・リッチの議論に通じるものである。

 Re-vision――ふりかえる行為、新鮮な目で見る行為、新しい批判的な方角から古いテキストに入っていく行為。これは女にとって、文化史の一章というよりもずっと大きなことだ。生きのびるための行為なのだ。(Rich 1979=1989: 53)

 ファン・フィクション・アーカイブには、いくつかの点でクィアアーカイブと似たような機能がある。たとえば、ファン・フィクション・アーカイブは「秘密から暴露への変化」(change [from] secrecy to disclosure)を促す。また、ファン・フィクション・アーカイブはグループの新参者に対して文化的リソースへのアクセスを提供したり、グループのメンバーを安心させたりする。

 とはいえLGBTQと違い、ファンは法制度によって周縁化されたり抑圧されたり標的にされたりすることはなく、ヘイトクライムや構造的な社会的・文化的抑圧を受けることもない。しかし他方で、ファン・コミュニティでcloseted*7やcoming out*8 やbeing outed*9といったクィア・コミュニティの語彙が用いられてもいる。

 John Edward Campbellのように、クィアとファンとを並置することに批判的な論者もいる。しかし他方で、ファンとクィアとの類似性や共通性を指摘する論者もいる。ファン・アイデンティティクィアアイデンティティはしばしばパラレルなものとして語られる。性的コンテンツが含まれるファン・フィクションについて、私的な家庭圏、職場などの公共圏、そしてインターネットなどの半‐公共圏のそれぞれで衝突が生じている*10

 すべてのインターネット上のファン・フィクションが性的コンテンツを含んでいるわけではないが、一般の書店や図書館よりも性的コンテンツを見つける機会はインターネットの方が多い。そのためオンラインのファン・フィクション・アーカイブは、ある面で女性の公的な性文化を構成している。この点はCvetkovich (2003) の“lesbian public sex culture”と類比的である。

 Catherine Tosenbergerは確言的ファン空間(affirmational fannish spaces)と変形的ファン空間(transformational fannish spaces)を区別する。前者は原作についての細かな事実にこだわるもので、どちらかというとマジョリティ男性が多い。後者は原作を書き換える二次創作をするもので、どちらかというとマジョリティ女性が多く、クィアとの親和性も高い。後者の方がより病理的なものと見なされる傾向にある。

 ファン・アーカイブは、検閲に対するシェルターになると同時に、ファンでない人々にファンの存在を認識させるものでもある。「安全な空間」であると同時に標的となる空間でもあるという点で、クィアな空間と同じように機能している。また、スラッシュフィクション愛好家にクィアを自認する人が多いという調査もある。

 それゆえ、ファンとクィアが社会的に同じ扱いを受けているわけではないとしても、インターネットのファン・フィクション・アーカイブクィアな空間として機能している。

 Lothian, Busse and Reid (2007) によれば、オンラインのスラッシュ・ファンダムは、セクシュアル・アイデンティティ、地理的位置、家族構成などの異なる多様な女性同士が交流できる「クィアな女性の空間」である。これに加えてDe Kosnikは、同性愛表現が含まれるかどうかを問わず、インターネットのファン・フィクション・アーカイブはすべてクィアな女性の空間であると主張する。Jack Halberstamが書いているように、多くの男/女の性的シナリオはクィアとして読まれうる*11。またAlexander Doty(1993)によれば、「クィアな受容は、受容者の性的アイデンティティと文化的ポジションについての意識的な現実生活の定義を超えた場であり――いつもではないが、しばしば性的アイデンティティアイデンティティ・ポリティクスを超えた場である」。こうした議論を踏まえてDe Kosnikは、クィア自認のファンもストレート自認のファンも、しばしばマスメディアのテクストをクィアに解釈し、そのテクストのクィアなバージョンやクィア多様体を作り出す、と主張する。ファンサイトやアーカイブは、高度にクィアで政治的な場となっている。

 Dotyの言う「クィアなポジション、クィアな読解、そしてクィアな喜び」のほかにも、女性ファンが自分自身をクィアする・・・・・・・・・・(female fans queer themselves)ということがある。例として、女性ファンがヘテロセクシュアルな物語を受容するとき、男性キャラクターに同一化し、男性キャラクターが女性に対して抱く恋愛感情を読んだり書いたりすることがある。あるいは、他の女性ファンを想定しながら性愛フィクションを書くことによって、女性ファンがクィアな関係に参加する・・・・・・・・・・engage in queer relations)ことも挙げられている。

 以上から、ファン・フィクション・アーカイブアドリエンヌ・リッチの言う「強制的異性愛」への抵抗となっていると言える。

クィアアーカイブの機能(The Work of Queer Archives)

 Halberstam(2005) とCvetkovich (2003) によってクィアアーカイブの機能が論じられている。Halberstamによれば、クィアサブカルチャーアーカイブは、単なる資料収集や文書保管の場所ではなく、文化的有意性(cultural relevance)の理論や、集合的記憶の構築、クィアな活動の複合的な記録でもある。このことから、ファン・アーカイブは作品を蓄積するだけでなく、ファングループの「文化的有意性」や「クィアな活動」の変形をも記録するものであると言える。

 Cvetkovichによれば、クィアアーカイブは「親密的なことと個人的なこと」を保存するものであり、「感情や情動」に関する物によって構成される。そのようなアーカイブを作る動機としては、公的な記録から無視されたものが失われてしまうという恐れがある。これらの点はファン・アーカイブについても当てはまる。

 またクィア・コミュニティの間では、主流文化の表現をクィアに受容するということが行われてきた。セレブリティ・カルチャーやパルプフィクションの「うわべだけのヘテロノーマティヴィティ」は「受容とファンダムの策略によってクィアにされて」きたのであり、こうした表現もアーカイブ化する必要がある。それうえでCvetkovichは、ファンをクィアアーキビストのモデルと見なす。こうした点から、De Kosnikは「クィアアーカイブは少なくとも部分的に、しばしばファン・アーカイブである」と主張する。

必要なアーカイブ(Necessary Archives) (本章の要約)

 ファン・アーカイブは非ヘテロノーマティヴな実践のための「安全な空間」であり、ファンの情動的経験や変形的作品の歴史を保護する。それは他のどこにも記録されていないような可能性(性的なアイデンティティ、欲望、空想の可能性を含む)の探求や実験の歴史である。それゆえファン・アーカイブはコミュニティ・アーカイブ(特にクィアアーカイブ)と同じく、ファンとさらに大きな社会との両方にとって重要であり関連があるものと見なされなければならない。これらのアーカイブは社会的に周縁化された人々の文化を存続させるものであり、包摂という観点からも重要性を認められるべきである。

 同時に、クィアで周縁化されたグループの文化的生産物は、それがアーカイブされたとき、さまざまなタイプの搾取と抑圧のターゲットとなりうる。これはファン・アーカイブにも当てはまる。もちろん、構造的に排除された人々と同じようにファンも排除されている、というわけではない。しかしファンのほとんどは女性であり、なかにはクィアな人々も多く存在する。ファンは企業や法人による攻撃に晒されやすく、ファン・アーカイブは(特にあからさまに性的な領域について)女性やクィアな表現に反対する様々な検閲の力(censorial forces)によって蝕まれうる。このような脅威から自分たちの表現を守りたいという欲望によって、ファン・アーカイブ活動は動機づけられてきたのである。もし多様で開かれた社会に女性のアーカイブやLGBTQのアーカイブが必要であると認めるのであれば、ファン・フィクション・アーカイブもまた重要な文化的記憶機関であると考えるべきである。

*1:ユーザー自身が生み出すコンテンツ

*2:例としてStrikethrough 2007が挙げられている。Strikethrough 2007とは、ブログプラットフォームLiveJournalの運営母体であるSix Apartが、ファン・フィクションやファン作品を含む数百の記事を、攻撃的な性的コンテンツを含むという理由によって削除した事件である。このほか類似の事件として、FF.netで2000年代半ばから2010年代半ばまでの間に数千の「性的に露骨な」作品を削除したという事例が挙げられている。

*3:例としてFanLib が挙げられている。なおFanLibは2007に設立されたが2008年に潰れた。

*4:「Archive of Our Own – AO3(みんなのアーカイブ)はファン小説、ファンイラスト、ファン動画、SS朗読などのファン作品を投稿できる非商用かつ非営利なウェブサイトです。AO3はファンによって運営されてます。ここでの創造的なファン活動はOTW(変形的作品のためのNPO)の支持による活動の合法性と社会的価値を訴え続けることができます」(変形的作品のためのNPOArchive of Our Own(みんなのアーカイブ)」2018/11/27閲覧)。

*5:「Open Doors (オープンドアプロジェクト) は危険に晒されているファンによる作品に保護を提供するためのものです。私たちは、様々な種類のファン作品やファン文化における芸術品に対する保存と保護を目的とした、いくつかのサブプロジェクトや救済努力を行なっております」(変形的作品のためのNPOオープンドアプロジェクト」 2018/11/27閲覧)。

*6:長期保存を目的としない出版物のこと。チラシやパンフレットなどが挙げられる。

*7:ファン活動をしていることを周りに隠す

*8:ファンとしてのアイデンティティや実践を家族や友人などに明かす

*9:自分がファンであることを、他人から家族や職場の知人などへ勝手に言われてしまう

*10:こうした衝突の例として、FF.net が始めた2012年6月の大量削除事件が挙げられている。

*11:例としてバットマンキャットウーマンのファン・フィクションが挙げられている。